~なぜ七十五剱の言霊ツルギを稽古するのか
<明治26年7月12日 出口直~大本神諭>
艮の金神、出口直の手を借りて世界の事を
知らせるぞよ。
明治の人民は昔の剱より今の菜刀と申して
金さへありたら何も要らぬと申して欲ばかりに
迷うて人に憐みということをチッとも知らずに
田地を求め、家倉を立派に建て
我物と思うて居れども
世が元へ還るから、昔の日本魂(やまとだましい)
でないと此の先は一寸も行けぬ世になりて、
昔の剱が世に出るぞよ。
昔の剱が世に出ると申すのは、
日本魂の誠の人民の光が現われて、
世界の間に合う様になる事であるぞよ。
艮の金神が表に現われて世を構うようになると
今迄の様に我善しの持ち方はいたさせんから
思いの違う人民が多数(たっぴつ)に出来てくるぞよ。
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<出口直日大本三代教主のお言葉>
昭和34年春
「武道はみろくの世になっても
必要なものであるから絶対にやめてはならない」
昭和35年 「武道は気迫である」
昭和39年 「武道をやりとげてもらわねばならない」
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<出口聖子大本四代教主のお言葉>
平成9年~南米 「手力男の神が出る」
平成11年 「和良久」と命名下付
平成12年~和良久について
「あわてなくても良い、いずれ皆が分かる時が来る」
「和良久を悪意ある者たちに渡してならない」
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<元大本武道講師 奥山忠男師>
~以下、自筆記録
宇宙の歴史を遡り、修理固成のアマノヌホコ
より水水火(ツルギ)に至る。
一霊、火水、三元、四魂八力、五魂十二力、
七十五声、七十五剱の展開の中に
入る事が出来た時、人は元の昔に戻り得る。
そこでは、火水与(かみよ)の原理に従い、
水水火は、火火水(カガミ)と一体となり
長生殿に奉納可能となる
これが三代教主御指示の「武道をやりとげる」
事であり「コトタマ」はそこに存在する。
武道はイキの鍛錬であるコトバの鍛錬と一体となり、
人の心を鍛錬するものコトタマのマナビなり
鎮魂帰神の神術でなければならない
人の使命達成の為の「自他加力」の解明と体得
その為の人の心の次元向上を目指すもの
<鎮魂>
稽古とは古(いにしえ)を考える。
古事を考えて物事のかってあったあり方と、
これからあるべき姿とを正確に知ること。
人は鎮魂により心の純化と、
原点との感応を可能にする。
志を立て、ひたすらその方向に進む。
これ帰神なり。
霊ー心の向上は鎮魂帰神によってのみ可能となる。
即ち、神に近づくことである。
心の向上は心の鍛錬による。
心の鍛錬は「詞(ことば)の鍛錬と気の鍛錬」
しかない。
原点を見つめての鎮魂帰神の神術が
「コトタマ」の下、日本には存在する。
火水与より伝えられる火凝霊
(かごたま~別名フトマニノミタマ)、
水火の御伝、ますみの鏡、水茎文字これなり。
<心の鍛錬>
みろくの世に向かって生き抜く為に不可欠なもの
鎮魂帰神の神術によるもの
人の心はコトバとイキにより成る
心を鍛錬することはコトバとイキを鍛錬することである
ここではコトバとイキは、対称する二つのものとして、
静に於いては一体化、動に於いては同時存在する
ものでなければならない。
心の次元の向上にともない、自力は増大し、
時に於いて大なる他力が来たり加わる。
そこには現実に不可能はない。
<コトタマによる心の向上>
詞と気を同時に鍛錬する事によってのみ
達成出来る人の次元の向上
<誇りをもつ>
鎮魂によって最高の方向に感応する。
これは潔斎のもと、心の純度に生ずる。
帰神に於ける心の次元相応に来り加わる
他力の確信、即ち活動力。
日本人の歴史ー人類発生より一貫して
流れる道統、
そしてみろくの世実現に至る使命感と自負。
<コトタマツルギ>
七十五声の言霊のイキの活きを顕す七十五剱。
これを形成するものは火凝霊、水火の御伝、
マスミの鏡、水茎文字である。
七十五剱は、夫々の活きにより、重、軽、中
各二十五剱に分類される。
イキは、旋回して活く故、そこに内外旋が規定され
五魂十二力の下、心の鍛錬として鎮魂帰神の神術として
重軽五十剱、禊の神事として中二十五剱が
姿を現す。
この道は、人力の極限に於ける神人合一のあり方を示す。