・・・以下、関連書籍より総て抜粋
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<神の国より~出口王仁三郎聖師>
大地は日々に傾斜運動をすると共に、
又一年に四度の中傾斜運動をなし、
一年に一度大傾斜運動をなし、
六十年目に大々傾斜運動をなし、
三百六十年目に大々々傾斜運動をなし、
三千六百年目に大々々々傾斜運動を
するのである。
故に桑田変じて海となる位の事ではなく、
海が山になつたり、山が海になつたりする。
高山の頂から貝の化石が出たりするのも、
此等の傾斜運動によつて
大地は常に変動しつつあるのを示すものである。
鳴門の水が、大地の中心に向つて
注ぎつつあると云ふ事をも知らぬ人が多からう。
富士山の爆発によつて、相模の国が出来、
武蔵との間がつながつたのである。
天城山の爆発によつて、
伊豆一帯の地が持ち上つた。
蛭ケ小島も湯ケ島も、もとは皆島であつたので
此の名が残つて居るのである。
地文学も天文学も、否それのみならず、
政治学も、経済学も、教育学も等々、
諸種の学説が皆ひつくりかへる時が来るのである。
神諭に「何も彼も新つにして仕舞ふぞよ」と
あるのがそれである。
世の立替立直しと云ふのは大望とあるが、
頗る大規模なものであつて、
殆んど人智の想像の範囲を絶して居るものである。
太陽は東より出でて西に入るがごとく見ゆるも、
それは地上の吾人より見たる現象にして、
神の眼より見る時は、太陽、地球ともに
少しも位置を変ずることなく、前述のごとく、
たんに自働的傾斜を行ひてゐるのみなり。
天に火星、水星、木星、金星、土星、天王星、
海王星その他億兆無数の星体あるごとく、
大地にもまた同様に、同数同形の汐球が配列され
ありて、大空の諸星も、大地の諸汐球も、
太陽に水球があるごとく、地球に火球があるごとく、
すべて球竿状をなしゐるものにして、
おのおのそれ自体の光を有しゐるなり。
なほ、暗星の数は光星の百倍以上は確かにあるなり。
太陰は特に大空大地の中心すなはち中空に、
太陽と同じ容積を有して一定不変の軌道を運行し、
天地の水気を調節し、太陽をして酷熱ならしめず、
大地をして極寒極暑ならしめざるやう
保護の任に当りゐるものなり。
しかして、太陰の形は円球をなし、
半面は水にして透明体なり。
しかして、それ自体の光輝を有し、
他の半面は全く火球となりゐるなり。
今、図を以て示せば次の如し。
太陰は大空大地の中心を西より東に運行する
にともなひ、地汐をして或ひは水を地球に送らしめ、
あるひは退かしむるがゆゑに、
満潮干潮の現象自然に起るものなり。
神諭に、
『月の大神様はこの世の御先祖様である』
と示しあるは、月が大空と大地の呼吸作用たる
火水を調節するの謂なり。
火球は呼気作用を司り、地汐は吸気作用を司る。
『富士と鳴門の仕組が致してある』
といふ神示は、火球の出口は富士山にして、
地汐は鳴門を入口として水を地底に注吸しゐるこ
とを指示せるものなり。
火球および地汐よりは、なほ人体に幾多の血管神
経の交錯せるごとく、四方八方に相交錯したる
脈絡をもつて、地球の表面に通じゐるものなり。
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霊界物語より
第二四章 富士鳴戸〔二七四〕
二柱は茲に撞の御柱を廻り合ひ、八尋殿を見立て
玉ひ、美斗能麻具波比の神業を開かせ玉ひぬ。
美斗能麻具波比とは、火と水との息を調節して、
宇宙万有一切に対し、活生命を賦与し玉ふ
尊き神業なり。
撞の御柱の根に清き水を湛へたまひぬ。
これを天の真奈井と云ひまた後世琵琶湖と云ふ。
撞の御柱のまたの御名を伊吹の御山と云ふ。
天の御柱の神は九山八海の山を御柱とし、
国の御柱の神は塩の八百路の八塩路の泡立つ海
の鳴戸灘をもつて胞衣となし玉ひ、
地の世界の守護を営ませ玉ふ。
また鳴り鳴りて鳴りあまれる、
九山八海の火燃輝のアオウエイの緒所と
云はれて居るは不二山にして、
また鳴り鳴りて鳴り合はざるは、阿波の鳴戸なり。
『富士と鳴戸の経綸』と神諭に示し玉ふは、
陰陽合致、採長補短の天地経綸の微妙なる
御神業の現はれをいふなり。
鳴戸は地球上面の海洋の水を
地中に間断なく吸入しかつ撒布して
地中の洞穴、天の岩戸の神業を
輔佐し、九山八海の山は
地球の火熱を地球の表面に噴出して、
地中寒暑の調節を保ち水火交々相和して、
大地全体の呼吸を永遠に営み居たまふなり。
九山八海の山と云ふは蓮華台上の意味にして、
九山八海のアオウエイと云ふは、
高く九天に突出せる山の意味なり。
而て富士の山と云ふは、
火を噴く山と云ふ意義なり、
フジの霊反しはヒなればなり。
茲に当山の神霊たりし木花姫は、
神、顕、幽の三界に出没して、三十三相に身を現じ、
貴賤貧富、老幼男女、禽獣虫魚とも変化し、
三界の衆生を救済し
、天国を地上に建設するため、
天地人、和合の神と現はれたまひ、
智仁勇の三徳を兼備し、
国祖国治立命の再出現を待たせ玉ひける。
木花姫は顕、幽、神における三千世界を
守護し玉ひしその神徳の、
一時に顕彰したまふ時節到来したるなり。
これを神諭には、
『三千世界一度に開く梅の花』
と示されあり。
木花とは梅の花の意なり。梅の花は花の兄と云ひ、
兄をこのかみと云ふ。
現代人は木の花と云へば、桜の花と思ひゐるなり。
節分の夜を期して隠れたまひし、
国祖国治立の大神以下の神人は、
再び時節到来し、煎豆の花の咲
くてふ節分の夜に、地獄の釜の蓋を開けて、
再び茲に神国の長閑な御世を建てさせ玉ふ。
故に梅の花は節分をもつて花の唇を開くなり。
桜の花は一月後れに弥生の空に
はじめて花の唇を開くを見ても、
木の花とは桜の花に非ざる事を窺ひ知らるるなり。
智仁勇の三徳を兼備して、
顕幽神の三界を守らせたまふ木花姫の事を、
仏者は称して観世音菩薩といひ、
最勝妙如来ともいひ、観自在天ともいふ。
また観世音菩薩を、西国三十三箇所に配し祭りたるも、
三十三相に顕現したまふ神徳の惟神的に
表示されしものにして、決して偶然にあらず。
霊山高熊山の所在地たる穴太の里に、
聖観世音を祭られたるも、
神界に於る何彼の深き因縁なるべし。
瑞月は幼少の時より、この観世音を信じ、
かつ産土の小幡神社を無意識的に信仰したるも、
何彼の神の御引き合はせであつたことと思ふ。
惟神霊幸倍坐世。
附記
三十三魂は瑞霊の意なり。
また天地人、智仁勇、霊力体、顕神幽とも云ひ、
西王母が三千年の園の桃の開き初めたるも
三月三日であり、三十三は女の中の女
といふ意味ともなるを知るべし。