さて、こういった
「相手を横目に見る」という考えや、
身体の動き、はてまた体型などは、
主にその国の言葉、また、
食や手の働きも関係するように思う。
それを書いてみたいと思う。
言葉・・・
言葉はその国の文化そのものであり、
思想であり、歴史そのものなのである。
特に言葉を発声する際の呼吸の使い方が、
ものの考え方や動き方を決定する。
日本人は、この誌上講座でも
何度も取り上げているように
言霊と言う素晴らしい技をもっている。
言霊は大宇宙の構造と運行を表し、
同時に人と言う小宇宙の構造と運行を表す。
これほど人格を形成するにふさわしい人間設計図は
世界中探しても日本以外に無いと思う。
言霊は、呼吸法、思考法、身体操作法など
多岐に渡って「技化(わざか)」された
完璧な人間修養法なのである。
日本語は、「アオウエイ」と言う
神の言葉「五大父音」をもつ。
一般的に日本語は腹式呼吸と言われているが、
腹式だけではなく胸式、腹胸式など、
全身の器官を総合して発声する
「神の子なる人を造る」完全な呼吸法なのである。
外国語は、口の中で篭ったように語る。
つまり「五大父音をうまく消しながらしゃべる」ため、
呼吸が浅く、その呼吸は身体深く食い入らない。
呼吸が浅いということは、
安定した落ち着きを得られない。
本当の鎮魂にならないということである。
思慮が浅くなるため、物事に対し、
熱しやすく冷めやすい。
異常なほどすぐに感激し、
またすぐ手のひらを返したように逆上する。
感激すれば、相手を過剰に持ち上げ、
怒れば相手の存在を消滅するほど
痕跡無きまでに攻撃する。
いつも右か左か、イエスとノーかを
はっきりさせよ、と迫る。
これは両方を同時に見る余裕が
ないということである。
物事を、心ではなく、理で詰め様とする。
だから、事件がおきれば、
すべて法的に解決しようとする。
法的に問題なければ正義だと言う。
法的に誤り無ければ
何をやってもいいと言う。
弁護士によって
まったく理不尽な結果が出るのも
日常茶飯事である。
わが国にも、思いやり、正義、倫理、
道徳が消えそうなのもやはり
言霊の水火の力が衰えてきた証拠である。
決して外国語が悪いと言うのではない、
神はその国の風土に合わせた言語をつくられた。
その国へ行けばその国の水火がある。
それに合わせるのが最も自然なのである。
日本と言う国は、日本語なのである。
日本語、すなわち言霊なのである。
日本語・・・・
それは心身の前後上下左右のバランスをとりもどし、
中心を見出して神に遭遇すべき
資格を兼ね備えるための言葉である。
近頃、文部省が小学校から英語を教えると言う
とんでもないことを言い出した。
体と心がまだ出来上がっていないのに、
外国語を学ぶのは母国の水火を乱すことになる。
まず、しっかり日本語を学び、
日本語をもって考え、
行動することが先決なのに、である。
まだ、心身が固まらないうちに
英語で考え、英語で行動することをさせたら、
その子供の中から日本が消えてしまう。
大和魂(日本精神)を消すのは、
幼いうちに行うのが良いということを
知ってのことであろうか。
某国の差し金としか思えない。
その国を根底から侵略するのは、
軍事をもってではなく
言葉をすり替えるのが最も良いのである。
言葉を学ばせる・・・
こんな恐ろしい戦略兵器はない。
言葉を変えれば、
自然に思想や習慣も変わるのだ。
まさに無欠の侵略である。
すでに中学において
義務教育にまでなってしまった英語。
他の国において、そんなことがあるのだろうか。
思えば信じられないことである。
神の国の言葉を消そうというのか。
たかが言葉ぐらいで、と侮ってはならない。
五大父音の発声を徹底的にさせ、
水火を鍛えることによって
心身が「天地結水火」を組み立て、
骨格が固まる。
言葉が肉体と人格を造る・・・
ということを知らない人が多過ぎる。
国際人を育てる、と言うが、
自分の国のことも知らないで、
何をもって外国に行こうと言うのだろうか。
グローバルな人間を育成するということは、
外国語をマスターすることではない。
まず第一に母国語をしっかり把握すること。
ついで伝統文化を習得し、
日本という国の太古からもつ使命を自覚する。
そうして後、外国へ出かけるべきだと思う。
母国語や伝統文化、そして太古からの使命・・・
などはすべて75声の言霊に含まれた内容である。
言霊を学べば日本がどういう国か分かる。
母国語をしっかりと中心軸に置くことである。
それから他国とのコミュニケーションをとるため
英語などの外国語を身に着ければよい。
母国語は中心の軸である。
軸も出来上がってないのに、円を描くのは危険だ。