技を修めるのには、人によって様々であるが、
ある一定期間をおいて、自分を虚しくし、
ひたすら教える者からの一方通行を受け入れる
度量をもたねばならない。
理不尽であるが、これがわが国の
「修行に入る」と言うことである。
「自分が選んだ流派」の理念と身体操作法を
まったく無条件で受け入れて学ぶこと。
神技と言われるものも、この理不尽な環境で
生み出されたものである。
覚悟をもつこと・・・入門するとはそういうことだ。
それでも、もし止むに止まれず、大事あって
自分の意見を上に通そうとするならば、
この世界ではこうである。
まずその流儀の門に入って最低万日の行を積み、
その間にすべての理念と技を修め、
人間関係をしっかり構築し、
その流派の為に貢献したのちに、
あらゆることを把握した上で、
自分の利益を度外視して、
利他的に、また闘争的な議論を一切行わず、
和を基本とし、
自分なりに最良と思う意見を何度も何度も思考し、
それが神の御心に叶っていることであるかどうかを
まず潔斎をなし、祭式に乗っ取って正しく一心に祈り、
神の裁断を仰いだ上で、
ようやくお上に意見を申し上げるのである。
これが意見を言上する大和びとの心得である。
もし意見が私的であり、
それに悪意があると指摘されたなら、
腹を切る覚悟さえもっている。
一命を天に預けての言上である。
しかし、現代はどうだろう。
よく学ばず、よく修めず、よく和を為さず、
よく神を知らず、よく忍耐せず、
周りの状況が分からぬ者が、
安易な、浅い知識と解釈で、いつかど一人前のつもりで
上に対し意見を言うのを見かける。
自分がこうだったから、
おまえたちもこうあれと言うのは
時代錯誤も甚だしいと叱られそうだが、
上に立つ者も、このような環境のもとで修行を積み、
辛酸をなめつくしてきた者たちである・・・
言わずとも、下の者の気持ちなどすでに読めている。
言上するときには、すでにこちらが何を言わんと
しているのか分かっている者たちなのだ。
だから・・・である。
どうしても言いたいことがあっても、
先に言ったように、少しの間黙って、
ただ黙って修行を積む辛抱を経なければならないのだ。
こういう偏屈と言われる人たちが、
この日本を守ってきたのだ、と言うことを
忘れてはならない。
10階のビルに住む人がいて、
どうしても話さねばならぬ大事な用事があるなら、
下で叫ばず、自分もその足で10階に上がって、
その人に直接面会して話をせねばならぬ。
私の場合、10歳で空手の世界に入り、
18歳で本格的に内弟子に入った。
年少の時から、先生、先輩に対し、
一切の、意見どころか、しゃべることさえも
遮断された時代を生きてきた。
何かあっても、先生に話そうとする雰囲気ではなく、
ただ聞かれたら「押忍」と答え、
「押忍では分からないから話せ」と言われて初めて
用件のみ言葉を慎重に選んで、端的に話した。
何があっても、何をされても「押忍」とだけ言い、
ただ身体を張って答えを出そうと努力してきた。
私は31年生まれである。
私が内弟子になった18歳の時代は、
もう戦争の傷跡も何も知らない、
かなり開けた時代である。
いくらなんでも、時代錯誤な封建的な世界は
とっくの昔に影を潜めていた時代である。
にもかかわらず、私の望んだ世界は、
今思えばまったく漫画的な話であるが
「地上最強を目指した集団」であった。
だから、どんな苦痛も、罵詈雑言も
甘んじて受けることが出来た。
地上最強になるんだから、
たいがいの苦痛は当たり前に耐えるのは
当然だと考えた。
何を言われても、叩かれても、尊敬する先生や
先輩の言葉なら心から喜んで叱られ、叩かれた。
信ずるということは利己を越えた
心のつながりなのだと思う。
そんな中でも、あることで思わず
先輩に口を開いてしまったことがあった。
そうすると、口を開いただけで、話もしないのに、
すかさず「10年早い」と言われた。
私ははっとわれに返って絶句した。
しまった・・・と思ったのだ。
私が言わずともこの方たちは分かっているのに、
自分を認めてもらいたいという我が出てしまったのか、
思わず「こう思います」と意見を
述べてしまったことを悔いた。
悔いて悔いて大いに反省した。
・・・そして黙して10年の歳月が経った時、
私はその先輩に、言葉を選び考えに考え、
恐る恐る話をしにいった。
「押忍、失礼します。
実は自分はあのことにつきまして
このような思いをもっておりますが、
先輩はいかがお考えでありましょうや。押忍・・・」
と、気をつけ・・・の直立不動で、
腹に力を精一杯入れて話しかけた。
もう、私もその時は、黒帯であり、
指導員にも任命され多くの後輩を指導し、
また全日本の選手として活躍し、
道場や組織に対し、大きく貢献をして
実績をつくっていた。
組織の人間関係もすこぶる良好に保っており、
技に関しても先生から
「俺が居ないときは前田に聞け」と、
全稽古生たちにお墨付きを下していただいた
時期でもあった。
そういった、あらゆることを
そこそこクリアした上での言上であった。
私にはそういう背景がようやくにして出来上がったので、
もうそろそろ話させてもらっても良いだろうと判断した。
大先輩も「前田が言うことなら」と
快く話を聞いてくださり、
何と前向きな意見交換が出来たのだ。
しかし、先輩は、私の気持ちの、
そういったこともお見通しであったが、
長時間、快く耳を傾けてくれた。
他愛もないことだが、この時は、本当に嬉しかった。
ようやく10階に上がることが出来て、
面を上げて先輩の顔を見ながら話が出来たのだ。
こんなこと言うと、笑われそうであるが、
まともに先生や先輩に眼を見て話が出来ないほど、
遠い存在であり、それほど私は上の方々を尊敬していた。
私も稽古したが、先輩たちも稽古をしているのだ。
その、口先だけでなく、実際に現場で汗する姿が
尊くてもったいなかった。
こんな一昔前の武道家たちの姿・・・・
皆さんはどう思われるだろうか。
確かに、すぐ怒って手を挙げるし、
やり方が民主主義ではないけれど、
お互いつらい行を積み、何事も辛抱する鍛錬と、
その修行課程を知るものだけが知る
「許容の間」と言うのか、
先生を筆頭とし、先輩そして後輩たちには
眼で合図できあえるほどの
暗黙の了解が生まれるようだ。