「剱はウの言霊の追究です。
ウに始まって、ウに終わるのです」
私の師が、このように言っておられたのを
思い出します。
ウとは、息で言えば、
吸う息と吐く息の同時に存在した水火です。
よく息を凝らすと言いますが、
慎重に物事をなすときに行う呼吸の状態です。
例えば、針の穴に糸を通すときの、あの呼吸です。
また、失敗が許されないという、
命懸けで行わなければならない事態や、
瞬間的に発揮される途方も無い力が出た時なども、
この呼吸です。
このウの状態というのは、絶対中立であり、
前後上下左右の只中にある「間」であり、
生き死にを超越したものです。
宇宙創造の音声「スウアオエイ」の配列から考えますと、
ウを追求することにより、「ス」の言霊に至ります。
スは、ご承知のように神そのものを意味します。
もう、これ以上、上も下もありません。
スは始まりであり、終わりです。
ヨハネの黙示録の最終章には、
このように書いてあります。
「私はアルパであり、オメガである。
最初の者であり、最後の者である」
この「ウ」の言霊に体ごと没入した時
「吾即宇宙なり」を体験します。
これは、「ウ」の中に吾ありと言う意味です。
いま、稽古で「ウ」を発声しながら剱をもって間をしめ、
相手の剱と合わせていますが、このように、
「間」「タイミング」「リズム」など、
とても大切な要素が詰まった言霊です。
本来、この「ウ」の構え一つで、
すべての争いを終わらせてしまうのです。
後の技の行使をしなくても「ウ」の気迫で魔が消え、
雲が晴れるのです。
ここまで自分を高めていくことが
剱の稽古だと思います。
そうすると、そういった
「ウ」のエネルギーをもった人たちが
この世に存在するだけでいいのです。
戦争反対とか、環境破壊反対とか、
暴力反対とかを声高叫ぶのではなく、
ただ淡々として「その者」が存在するだけで、
環境は改善され、暴力は無くなります。
ただ、「構え一発で火を消す」だけの気迫と、
命懸けの稽古、そして、その気持ちの持続が必要です。
それが「ウ」です。
「ウ」は直霊(なおひ)といわれる、
神直系の霊魂です。
この霊魂あってこそ四魂が存在出来ます。
このウの保持により、
神との連携作業に入ることになるのです。
これが鎮魂帰神です。
さて、師は「剱はウの言霊の追究です。
ウに始まって、ウに終わるのです」と言われただけですが、
私は、その後の稽古によって、その一層なる詳細を
、「体」が教えてくれることを知りました。
私は、先生に従っていた当時、
先生の言う意味もよく分からず、いい格好をしたさに、
先生のおっしゃられることを、分かったような顔をして
聞いていたのを思い出します。
いえ、このことに限らず、理念のこと、技のことなど、
今思えば、私の知ったかぶりは、たくさんありました。
先生に、良く思われたいという気持ちからなのですが、
思えば情けないことでした。
あの時、もっと素直になって学べばよかった、
分からないことは分からないと言って聞けばよかった・・・
そう思っても、もうすでに後の祭りです。
もう一人の私の心の師から「和良久」と言う名を賜って、
技の整理をする時のことです。
私は一体どうしたらいいのか途方に暮れました。
自分は、もう先生の知ることは
大概知っていると思っていた頃でしたのですが、
いざ一人になったとき、結局自分は何も分かっていない、
ということが分かったのでした。
私は思い上がっていたのです。
聞くべき者もないとは、心細いものです。
それで、師が残した僅かな資料を元に、
私はもう一度原点に帰って稽古を始めました。
するとどうでしょう。
不思議なことですが、稽古を通して、
分からなかったことが、理解出来ていくのです。
それは、まるで、コンピューターにソフトを入れて、
インストールするかのようにです。
ついでに、教わったこともないことまで、
体が教えてくれるのです。
そう・・・頭でなく、体が教えてくれるのです。
「そう、それはこういう意味なんだよ」と。
「いや、その考え方は違う」と訂正も求めてきます。
すべての答えは、稽古によって浮上しました。
動くことによって、体の中に刻まれたメッセージが
浮かび上がるのでした。体はまるでレコードです。
そして、思うのです…
ああ、これが先生の言いたかったことなのか、と。
こうして、何年も経ってから、
本当に心の底から師に対し、感謝の念が沸き起こります。
キリストや、釈迦などの聖人たちの言うことにしても、
彼らが生きておられる当時は、
きっと「この人は何を言っているのか、
さっぱり分からない」などと言われたことでしょう。
変人、狂人扱いを受けたのだろうと思われます。
ほんの身近なお弟子さんたちだけが、
師と慕う者の、その言を信じて従ったのです。
やがて、気の遠くなるような時を経て、
ようやく、その言葉や行いの数々が世界レベルで
評価されるようになってきたのです。
こう思いますと、本当のことは、
すぐには理解できないもののようです。
いま、分からなくても、先の世になれば分かる、
だから、その時になって慌てぬように、
いま伝えておく・・・と言うことだと思います。
私は、まだまだ知りたいことが山ほどあります。
私が信じた師たちは、すべて天に召されて、
魂の故郷に帰っていかれましたが、
教えを受けた事実は頭に残らずとても、
この五体にしっかりと刻み込まれています。
師たちから受けた教えは、実は師の独自の理念ではなく、
宇宙の心理そのものである以上、
それは、きっと稽古を通して思い出すのであろうと
私は信じて止みません。
私達の体には、
全大宇宙のメッセージが刻み込まれています。
そこには空があり、大地があり、山河草木があり、
多くの人が住みます。
太陽があり、月があり、星があります。
神があり、祖先が息づいています。
そして、春夏秋冬があり、朝があり、夜があります。
このように、体には、必要なものは、
過不足無く、完全に凝縮されて詰まっているのです。
そう思いますと、私達の肉体こそ
「ウ」の存在そのものと言えます。