武道家は、陰陽で言えば陰の存在であり、
昼と夜で言えば夜であり、
太陽と月で例えれば月である。
そして、火と水で言えば水であり、
スのフトマニ図(○に・)の○、すなわち火を囲い守り、
火のために身を惜しまず活動する水の役である。
よって武を志す者は、忍耐強くあり、
何かを守り育むためにわれの存在することを
無上の喜びとする者である。
何かとは?
それは守るに値する尊厳な魂であり、
崇高な存在である。
また愛する者のためであり、信じる者のためである。
また愛し信じる者が住む国のためである。
愛し信じる者のために
身を捨てて盾となることが
武の道にある者の本懐なのである。
守らねばならないもののために、
労苦を惜しまず力と技を練り、
おのが胸の内に潜む弱い心と立ち向かう。
武道家は神を斎祭り、
また国を動かす立場にある主君に仕えることにより、
自身の魂と技の純粋性を保ち
大きな他力が加わることを知っている。
神を通し、主君を通してこそ
自分のもつ特技、特性を大いに発揮できるのだ。
柳生は徳川に仕えたことによって、
類希なる理念と実力を発揮した。
葉隠れに書いてある内容も
徹底して主君に仕える道を示してある。
武の神素戔嗚尊も、太陽神天照大神をたてることによって、
月の神としての存在を明らかにした。
欲深い人間のやることである、武の技をもって上に立つと、
勘違いを起こし、増徴してしまう危険性が大いにある。
増長してしまえばお終いである。
これは、その武道創始者に限らず、
指導者や世話人についても同じことが言える。
武道は、仕えるという奉仕的、
かつ献身的精神によってこそ
活きる道であることを知らねばならない。
終生「仕える」と言う謙虚な気持ちを忘れず、
「主君があってこそわれもある」と言う
上下の分別をもって日々を送ることが大切だ。
主君の思いはわが思い、主君の理想はわが理想である。
武道は陰の存在である。
陰に居ればこそ、その存在価値がある。
武人は影にいればこそ輝きを増す。
例えば、太陽のようなものではなく、
夜静かに闇を照らす月のようなものである。
太陽は火である。表である。
月は水である。裏である。
武道は「水月」と言われるように、
水と月の特質と働きをもってこそ活きる。
表ではなく裏なればこそ、
その使命がまっとうできる。
身を潜めて陰から堅実に守れてこそ武士であり、
もののふである。
武が表になり、火のように燃え上がれば、
技は攻撃的になり侵略の戦いとなる。
武の道にある者は出しゃばってはならない。
例えば劇の裏で汗だくになりながら、
隠れるようにして走り回る黒子のようなものである。
彼らは影である。影であるからこそ
人が見えない部分に入ることが出来る。
例えば、現界と霊界のようなものである。
役者は現界にいて演技をするが、
黒子は霊界にいて演技をする役者の保護をする。
それが黒子も役者となって、
表舞台に立って脚光を浴びたいと欲したなら、
その時から秩序は消える。
武はまた腰を練ることを稽古の主眼に置く。
腰と言う漢字は、「月」に「要」と書く。
外からは見えない体の中にあるが、
五体を動かす絶大なパワーをもち、
見える部分である手足を動かす。
人体にとって最も必要な部分である
腰は月の働きに呼応し、月の影響をもろに受ける。
腰の真ん中には「宮」がある。月宮である。
ここで月の神秘な影響を受け命が宿る。
この腰のように隠れた存在であるが、
絶対必要なものが武道なのだ。
信じる者の影であるからこそ活きるのだ。輝くのだ。
合気道、親和体道など、
大本において発生した和良久以前の武道も、
創始者たちのみろくの世を夢見るひたむきな信仰心とともに、
主君である教主に対する忠誠心が
奇跡的な技を生み出す原動力となって生まれた武道である。
他ならぬ和良久もそれらと同様の過程を経、
ついに大本教主によって命名されその命を得た。
しかし和良久が合気道や体道と違うのは、
そのルーツであり、理念であり技である。
合気道も体道もともに柔術という
戦国時代に発達した武術を起源としている。
稽古も相手を投げたり押さえたりといった
強弱を競う方法から一歩も離れていない。
しかし和良久は違う。
和良久の稽古は、まったく独自の道を歩む。
その理念と技は世界に類がなく、
どこの流派、また会派にも属していない。
起源が無いのだ。
強いて言えば、古事記の中に登場する
天の沼矛としか言いようがない。
師は言霊である。
言霊の水火の働きそのままを素直に動くだけの稽古である。
和良久は誰かが工夫してつくったものではない。
神がつくったものとしか答えようがない。
和良久は、遠い「いにしえの世界」から
引き渡されたメッセージであり、
宇宙の真理を探求する乗り物のようである。
われらが五体に刻み込めれた
情報を引き出す75剱の技は
まったく神秘を開く鍵としか言いようがない。
理念の里は鶴山と言われる綾部である
(ますみの鏡と水茎文字を表す金龍海)。
そして、実践は亀山と言われる亀岡である
(佐々木小次郎の木剱)。
この鶴山と亀山があってこそ
和良久は世に出ることになったのだ
(鶴と亀でツルギと言い、理念と実践の融合を表す)
私はこの和良久に出会ったことは、
私にとって最高の奇跡と思っている。
また和良久がこの世に下されたこと自体が奇跡であると思う。
しかも広いこの世界で日本にそれが下されたという不思議。
また日本は日本でも京都の片田舎に下された奇跡。
そしてこんな凄すぎるものが
私たちの手にあることの不思議をしみじみ思う。