特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座575 父なる音(2)

人が怒った時と穏やかなときの
言葉の言い回しを観察してみましょう。

怒った時は、言葉を切るように、打つように
叩くように使っているのが分かります。

また、相手に対し誠意のない、
投げやりな場合などはどうでしょう?

両者とも共通していますのが、一様に
「父音」を消してしゃべっていることに気づきます。

父音とは「アオウエイ」という五つの音声です。

ローマ字で書きますと「A O U E I」と
なります。

言葉は、水茎文字の法則に照らし合わせていきますと、
その正体がよく分かります。

例えば「わたし」と言う場合・・・

「わ」は、「う」に「ぁ」で、「わ」、
ローマ字で書けば「W」に「A」です。

「た」は、「て」に「ぁ」で、「た」、
ローマ字で書けば「T」に「A」です。

「し」は、「す」に「ぃ」で、「し」、
ローマ字で書けば「S」に「I」です。

WATASI・・・W、T、Sと言う子音に
A、A、I という父音がつくのです。

「わっ、たっ、しっ」と切って言うのと、
「わたし」と間を空けずに短く続けて言う。

・・・この二つと、「わぁ、たぁ、しぃ」と
父音をつけてなだらかに言うのと
比べてみてください。

この父音を明瞭に発声するのと、しないのとでは
かなり受ける感じが変わってまいります。

なぜなら、父音は「神の水火」そのもので、
同時にこれは一霊四魂そのものだからです。

実は、父音には言葉の中身を形成する
ふくらし粉のような役目があります。

父音を明瞭に出すのと、出さないのとでは、
相手が受ける印象、および自分が表現するに
大きく違いがでてくるのが分かります。

例えば饅頭を食べるようなもので、
子音だけで話すということは、
皮ばかりで餡子が入ってないに等しい
貧弱な饅頭を食べるようなものです。

父音がない言葉は冷たさ、薄さを感じます。

父音がはっきり現れる言葉には、
餡子のしっかりつまったボリュームのある
饅頭を食べた豊かな気分になります。

同様に、この父音ある言葉には
温かさと豊かさを感じます。

この餡子にあたる「中身の詰まった水火」が
父音なのです。

いつも稽古で、父音は一霊四魂であると
お伝えしています。

一霊四魂・・・

このことについては、誌上講座でも何度も書き、
稽古においても再三繰り返している用語で、
和良久の皆さんはすでにご承知のことと存じますが、
一応参考のため以下に記します。

音声   位  心  魂

ア(A)は、天 愛 幸魂

オ(O)は、地 親 和魂

ウ(U)は、結 省 直霊

エ(E)は、水 勇 荒魂

イ(I)は、火 智 奇魂

以上が「心」の全体であります。

いわゆる心のこもった言葉とは、
この父音を最後まで丁寧に発することであります。

けんか腰、または投げやりになりますと、
言葉で相手に切るように話しかけますので
言葉の頭しか出ません。

つまり必然的に「父音」が続かないか、
または自発的にか、消すように話してしまいます。

しかし、大事な人や事柄には、
しっかりと父音を出していることとます。

これは、きっと相手を思いやる・・・
といった人(霊止)としての本能だと思います。

人や、物の名前などで、この父音の入り具合をみると
面白いことが発見できます。

例えば、出口直(でぐちなお)という
名前を引用いたします。

DE GU TI NA O

これを見ますと、一霊四魂を表す父音五音(AOUEI)が
見事に打ちそろった名前であることがわかります。

また、父音だけ見ては分かりにくいことも、
頭につく子音と照らしあわして見れば分かります。

例えば私が以前本職とした「空手」と言う
激しい格闘技があります。

KA RA TE

この場合、父音は「A A E」で、
その魂は「愛、愛、智」ですが、
子音を見ますと非常に戦闘的なのが分かります。

子音Kは「金属音」
子音Rは「活動音」
子音Tは「木を叩く音」

この空手という言霊からは、金と木を叩きながら
激しく動き回る様子がうかがえます。

このように「名は体をあらわす」というのは
本当です。

外国語が父音を消し、子音だけで話すので、
どうしても気持ちがストレートに
表面に現れてしまいます。

「イエスかノーか?」

と、よく日本人にその進退を迫りますが、
日本人は、言霊の父音の働きで、
常に気持ちを中庸を保っていますので
「どっちかはっきりしろっ!」と言われても困るのです。

どちらも良いと思えるし、悪いとも思えるのです。

右か、左か・・・と言う偏りではなく、
真ん中に気持ちを置いています。

外国語を用いることは、
積極的、情熱的な気持ちを培います。

それは裏を返せば戦闘的になる
と言うことでもあります。

チャチュチョ、キャキュキョ、ミャミュミョ・・・
などの音声は父音を消します。

これは、かなり外交的、好戦的と言える
音声です。

父音と言う、子音に潜む、外観だけじゃない
中身にこだわった言語をもつ民族は
世界でただ日本人だけです。

言葉により戦争にもなり、平和にもなります。

言葉の大切さをもう一度認識する
必要がきたのではないでしょうか?

言葉は、神であり、力であり、
人類にとって唯一無二の法則です。

なぜ古今の賢者たちが、この日本こそ世界を
救う使命があるのだと叫んでいるのか?

それは、日本人が宇宙を支配する音「言霊」を
正確に使いこなせる唯一の民族
であるからなのです。

早くそれに気づき実践することです。

さて、最後にもう一つ。

なぜ敬語が大切なのでしょう?

「・・・です」「・・・ます」「・・・でした」
など、日本語には最後にこういった言い方でしめます。

「です」の語尾に響く父音「ウ」
「でした」の語尾に響く父音「ア」

・・・など、やはり、ここにも宇宙創造の法則
「フトマニノミタマ」が活用されています。

それは、フトマニノミタマは、
言葉の最初が「スウア」で始まっています。

「スーウ」は、主なる神の直々の魂が地に下リ、
「ア」は、それを愛を持って開くということです。

これらのことを思いますとき、
なんと日本は素晴らしい国なんだろう・・・
と喜びを新たにいたします。

日本は言霊の幸はう国、天照る国、活ける国といいますが、
本当にその通りだと思います。