特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座580 息から水火への切り替わり

呼吸あればこそ、
私たちはこの世に存在でき、
万物の活動力もあるというもの。

この呼吸について深く掘り下げ、
根源を求めることが人生において
前向きに生きる意義を見出すこと
になろうと思う。

呼吸と言うものは、
真っ直ぐ行って帰って来ると言った、
直線的なものではなく、

コオロ・・・コオロ・・と、
ゆったりとまろやかに旋回し、
活動する目的にしたがってその旋回は、
求心力、遠心力となって内外に向け放射、
または吸収され、

やがて元に復して旋回運動を続ける・・・
という終わりのない無限の「螺旋運動」を
繰り返しているということを
はっきりと知らねばならない。

このように、呼吸は行ったら行ったきり
という直線的、一方通行的なものではなく、

巡り巡る永久持続の生きる力であるということを
稽古を通して実感することが
大切である。

この呼吸の働きの実感こそ、
霊魂の不滅と輪廻転生の確信へと
つながるものとなる。

さて、肉体は滅びても、霊魂は不滅であることを、
どれだけの人が実感しているであろうか。

呼吸というのは、生きているときは
酸素と二酸化炭素の循環作業を行い肉体を保持し、
死ぬときは肉体を離れて霊魂を導く
エネルギーとなる。

人は、吐く息で生まれ
「息を引き取る」と言って吸う息で死ぬ。

生き死にのはざ間には、一見呼吸停止という
瞬間の途切れ目があるように思えるが、
実は呼吸は止まったのではなく、
切り替わったのだということを知るべきだ。

死者とて呼吸は続ける。
ただ酸素ではなく、水火を吸い、
水火を吐いている。

肉体尊重の呼吸から、霊魂尊重の呼吸への
スイッチの切り替わりが起こったのである。

肉体による空気中の酸素の出入から、
霊魂による、より純粋なる酸素、例えば
霊素とも言えるものを取り入れる呼吸に
切り替わるのである。

私たちは、母親の胎内で魚のように水中で
呼吸することから、お腹から出てきて初めて
人としての呼吸を行う変化を体験する。

まるで水中生活から、陸上生活に切り替わった
生物の進化のようである。

そして、この続きで、今度は死を迎えた時には
別の呼吸法に変わるだけのことである。

霊魂が肉体を得てこの世に生まれ、
肉体というスーツを着用して霊魂に学習させ、

やがて目標設定された学びを終えると、
肉体を捨てて元の霊魂だけの姿に復する。

呼吸は、生き通しに生きているのだ。

ただ目的に応じた肉体を得てこの世に現れ、
肉体保持のための呼吸をするか、

肉体を捨てて、霊体保持の呼吸に切り替わるか
の違いだけである。

だから本当の意味で消滅などはない。
命は永遠だ。

大局から見れば、人生は、吸って吐く・・・と
いう一呼吸のようなものである。

肉体は物質であるので、時間と空間に限界があり、
よって時が経ち、場の条件が合わなければ消滅する。

しかし、霊魂は霊体であるので消滅などしない。

肉体を捨てた霊魂は本来の呼吸の
やり方に切り替わる。

それが「水火(いき)」というものだ。

我々とて、稽古によって水火を意識し、
その実在を認めれば霊魂の存在を
確信できるようになっている。

ちなみに肉体から離れ、本来の姿に
立ち返った霊魂は、自身の肉体をはじめ、
物質への執着が驚くほどなくなる。

(時に異常なほど肉体と物質への執着を
残して死ぬ者がある。

殺人、強盗などの凶悪犯罪者が
それである。

こういった者たちは死してなお
物質への欲が消えず、
行くべき霊界へ行くこともならず、
いつまでも苦悩と苦痛、
悲しみと怒りに満ち満ちた世界、地獄で生きる。

肉体あるうちに味わう苦しみの幾百倍
とも知れぬ苦痛が常時その者を襲い、
その苦しみから決して解き放たれる
ことはない。まさに永遠の苦しみだ)

このように、普通、肉体から離れた霊魂は、
至って冷静であり淡々としている。

それは現界に残された肉親の悲しみなど
何のこともなく、「どうしたのかな?」と、
まるで他人事のように傍観するほどの
神経になってしまう。

国替え(現界から霊界への移動)をした本人は
ぜんぜんと言っていいほど悲しくない。

しかし、残された人たちはやりきれなく悲しい。
当然であろう。

これは「世界が変わると常識が変わる」
としか言いようが無い。

残った者は、肉体があるので物質的執着
をもって考える。だから肉体と霊魂が分離
されている姿が悲しいのだ。

死んだ者に水火を合わせると、
予想外に悲しみを感じない。

死ぬと言うことは肉体と分離されるので、
まったく心だけの世界に入る。

霊魂だけという本来の姿にかえっているから、
「霊主」となる。

心が主になる存在となる。

死後は、心に思う世界に行き、
心に思う人たちと会うことになる。

だから、人は生きている間に「心に思う」
ことを清らかにしておかなければならない。

よこしまな思いは、死して後、
よこしまな世界に行き、よこしまな者たちと会う。

いまの自分は天国に行くのか、
地獄に住するのか?

心の状態を探ればすぐ分かる。

いまのその気持ちのままの世界こそ、
死後、おのれが行く世界である。