特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座583 1000本打ち

時に理屈を超えた稽古をすべきだ。

不思議だが、がむしゃらに動き続けると、
また理屈が理解できる。

確かな稽古を続けるには、正しい理念の元に
稽古を行うことが必要である。

しかし、考えばかりが先行して
体がついていかないようでは
いざと言うときの用には立たない。

私は空手時代、物事に行き詰まると
基本に戻った。

それも蹴りなら、蹴りばかり、
同じ動きを最低1000本突き続けることを
よくやった。

若い肉体には1000本はあっという間で、
時に、一万本を行うこともあった。

ふらふらになりながら、体を動かし続けていると、
技を行うに必要な最低限の動きのみになり、
無駄な力がまったく消えていく。

思考もストップし、体で考えるようになる。
このように体で考え出すとしめたものだ。

周囲の動きに対しての反応が機敏となる。

私はよくこの手段で壁を乗り越えてきた。

稽古に関わる皆も時にやってみればいい。

いや1000本とは言わない。

100本、いや50本でも30本でも
動ける範囲でやってみるのだ。

あまり神経質に形を気にしないで、
同じ動き技を繰り返してみたらいい。

数をこなすとき、慣れないうちは
複雑な動きは避ける。

動きの良し悪しが気になっていては
目的にかなわない。

理屈を捨てるためにやるのに、
理屈が多くなっては話にならないからだ。

また、こういうことは一人でやるものだ。
(大勢でやる場合は、皆のやる気と同意が必要だ)

これは人知れず、自分が自分に課す稽古だ。
誰に注意を受けるまでもなく、
好きな技を選んで動くのだ。

やる気のないのに、無理やりさせても
マイナスになるばかりだ。

ただ特殊なケース(内弟子、指導者、師範格の者)
を除いては、こういう理屈抜きの稽古を
行ってはならない。

普段は理念を大切にし、それに則って稽古をするが、
時々、自分を奮い立たせるために
行う程度でよい。

まあ、それにしても、私もいつかは内弟子をとって
徹底的に技を仕込むこともしなくては
ならないと思う。

自分がやってきたことは一通り伝えたい。

和良久は、武道で有る以上、
全体の中に厳しさと強さが芯にあり、
優しさと柔らかさが周囲になければと思う。

口ばかり達者で、体が伴わないのは困る。

この世界、自分の熱意と愛情が人に対して
厳しさとなる傾向がある。

本当に強いということは、本当に優しいのだ
ということだと思う。

中途半端な強さを持つ人は、
自分に来る波風に対し耐え切れず、
他人に対する八つ当たりに発展する傾向がある。

人は、自分は自分の目的意識をもって
生きている。

人は、他人に自分の考えを押し付ける
我の強い生き物だ。

人を導くのには、時間と場と温かな思いが必要だ。

根気よく、辛抱強く、自分が稽古を続け、
同時に人の心を推し量りながら、「ともに・・・」
という気持ちで進まねばならない。

「自分のように人も」と希望するが、
相手にそこまで準備が整っていない段階で「押し付ける」ことは
避けてもらいたい。

少々口を慎み、体を精一杯使う・・・
これを大切にしたいと思う。

ここで、私の稽古法を述べようと思って
これを書いたが、この特殊なやり方が
皆の稽古法に合うのか疑問である。

ただ、こういった手段もあると思っていただけたら
よいと思い、お知らせさせていただいた次第だ。