<神と言霊>
日本の国はどんな国かと答えれば言霊の
幸はう国であると答える
いまや言霊の水火まったく乱れはて、
人心荒廃は進みに進み末期的症状となりし
ことを稽古人己も己も深く慮るべし
そして、いまこそ
言霊の道を復活させるときこそ至れり
和良久の道にあるもの、すべてにおいて
言霊の法則に沿った生活を実践すべし
言霊は神なり
言霊は愛するが、神は信じない、
と言うのは本当の理を知らぬ
言霊は神の水火であり、神は言霊に宿る
わが心に神あってこそ、言霊の活用もある
これ軸と円周の関係也
和良久は神武一致を体現す道なれば、
常に神を信じ敬い、
もって言霊の水火の姿を現すこと涵養なり
言霊の復活こそ元の日本の姿の再生となる
<道と宗教>
茶道、華道、柔道、剣道など、道と名のつくもの
これすべて神からの道、そして神への道を言うなり
日本の伝統芸能のすべては神を賛美するため
の宗教行事として発展せしものなり
道すなわち宗教なり
宗教すなわち道なり
世は、一部の悪しき宗教団体が世間を騒がしおる
をもって宗教は犯罪集団なりとの偏見をもつ
この風潮、致し方なきものと言うべし
このとき、あらゆる文化芸術の諸団体が
会員獲得のためこぞってこう言う
「こは宗教にあらず。安心して来られよ」と
宗教にはあらずと言う言葉、裏を返せば
わが団体は物質尊重主義である、
と言うことと同じなり
高く心を練ることは行わない、
と宣言しているのである
さて、いずれまことの宗教は息吹き返し、
世の範となって万人に道を示すときがくる
武道は、神道そのものである
そして神道こそ日本そのものである
これを隠しては真の武道と言えない
和良久は勇気をもって
この日本の道を表に出すものである
和良久の技はうしとらのこんじんの
厚い守護あってこそ
その効力を発揮できる技である
ここを決して忘れてはならない
<目的>
「人を傷つけず、人に傷つけられず、
人もよく、われもよし」の実践を旨とする
和良久は、争い競う技にはあらず
人と人との和合のための稽古鍛錬である
自分と人との呼吸を絶妙の調和をもって合わせ
心を和ませることを学ぶものである
相手のいやがること、困ることを敢えてなすのは
和良久の技にあらず稽古人にあらず
たとえ稽古であっても人を決して投げたり
叩いたりしてはならぬ
素手の接触は感情が移入する
特に技をかける際に発する
怒り悲しみなどの感情は
電気の流れのように互いに移るものである
素手の接触を避け、三種の神器のうちの
ツルギを模した木剱をもって稽古すべし
木剱を通してのみ水火の交流を図るべし
何事も、イザナギ、イザナミの大神が
天之沼矛を持って天の浮き橋に立つごとく
寛大かつ勇壮なる気持ちをもつべし
そして、天が下を見下ろし創造の言霊
「しほ こほろ こほろ」の心をもって、
すべての事象をゆったり滑らかに
かきならしたる心持にならなくてはならぬ
天地の水火結ぶなる言霊の
力によりて物みな和まむ
<威儀を正す>
1、「ス」~精神
スの言霊を常に心に唱え、
正常な澄みきり、透き通った心の状態を保つ
2、「ウ」~姿勢
上田を下げ、下田を上げて中田を前後の真ん中に置く
(顎をひき、下腹を起し、背筋を真っ直ぐにする)
3、「アオエイ」~言葉
父音を正しく明瞭に発声することにより
呼吸が整い心身のバランスを取り戻す
<朝夕の心得>
1、朝起きたら、洗面をなし、髪を整え、衣服を正し、
神前に先の1~3の心得をもって座り、
神様にご挨拶および、今日の活動のお許しと
ご守護の祈願のための礼拝をなす。
2、わが神道の国において、各家庭に神床、神棚など
あるは至極当然のことなれども、旅先、出張などの
特殊な理由でそれらなき場合は、心を鎮めて瞑目し、
神を念じて礼拝をなす。
3、各家庭においては、一刻も早く
神様を奉祭することを勧める。
これ今後の動乱の時代に向け、
何ものにも増して自衛となる。
4、神と言っても八百万あれど、
ただこの世の創り主なる
天之御中主大神を祭ること涵養也。
5、夜には、また朝になした如くに、
神前に座り、今日一日活動をお許しいただいた
御礼とご守護を感謝し、同時に
知らず知らずに犯した過ちをお詫びし祓いを願う。
<現界のつとめ>
当然のことながら、
人は死ぬまで元気に生きねばならない
これ神の使命である
死ぬまでに死んではならない
天への大罪である
生きるとは水火を活用することであり、
音をたてて魂と肉体が
ともに元気に活動することを言う
死ぬとは水火を静止させることであり、
音を消して静寂にもどることである
人の体は必ず年老いて弱る
しかし心まで弱ってはならない
これ心の死である
心の死こそ本当の死となる
肉体が死んでも、心の状態陽気に満ちて元気なれば
死んで後の復活は速やかなり
生前、すでに生きる気力を失い、神を認めず
絶えず不平不満を周囲に漏らし、
砂時計が落ちるように、
迫り来る死に対し恐怖心をもつ者は、
すでに生きながらにして死したるものなり
人は生まれるときにエネルギーを要すると同じように、
人は死ぬときにもまたエネルギーを要するのである
もし死ぬときに心元気なれば
霊界へ飛び上がる余力をもつ
もし死ぬときにすでに心死しておる者は余力なきゆえ
まっさかさまに地の底へ転落す
死ぬ最後の最後まで、その国替えの瞬間まで
人は活気凛々としたエネルギーに
満ち溢れていなければならない
死して生きるとは、現界で死してのち、
霊界で生きかえることであり、
これこそ天国復活の姿である。
死して死ぬとは、現界で死して、
なお霊界でも死ぬことであり、
すなわち地獄行きの姿である。
現界で元気に死んで、霊界で元気に生き返り、
また、霊界で元気に生きて、現界に元気に生まれる。
この繰り返しである。
一呼吸、一呼吸大切に息をして体を養い、
心に不滅の法灯をともし、
その灯を一人でも多くの人々に点じてさしあげ、
より明るく朗らかに過ごすことが、
人と生まれた最低限の勤めである。
いまから稽古を通して
永遠に変わらないエネルギーを蓄積し、
そのときに備えることが大切である