太古、聖(ひじり)たちが神の言う
地上天国をこの世に実現するために、
神の言葉「アオウエイ」をもって
言霊の完全な法則を完成させた。
これが人類最初の画期的な
文明の基なのである。
この言霊を知り尽くす者こそ
聖(霊知り)と言う。
また、この言霊が活ける国を
「霊の本」(ひのもと~霊主体従と書く)と言い、
言霊のとどまる者を霊止(ひと)と言う。
言霊の法則は、数千年の長きにわたって続き、
見事に命輝くような精神文明を
実現させた。
言霊の活ける世界とは、
螺旋波動に満ち満ちた円やかな世界のことである。
しかし、いまから三千年前のこと、
物質文明とのバランスをとる必要性を感じ、
一時期この言霊の法則を隠すことになった。
それこそ、第十代崇神天皇によってなされた
和光同塵(わこうどうじん)の神策であった。
和光同塵の「光」とは言霊のことであり、
それを隠し塵(物質主義~外国の意)に
まじわることを言う。
言霊の光が消えたことによって、
この国は霊の本(ひのもと)でなくなり、
また霊止(ひと)としての精神的な働きも
出来なくなった。
やがて鋭角波動が発生し、
邪気が漂い世は暗黒の時代を迎えた。
外国からの思想が急速に入り込み、
物質文明が大いに栄えた。
外国から入った物質文明とは、
競争によって発展するシステムのもので、
それはかっての日本にはなかった
弱肉強食社会の時代の到来でもあった。
いわゆる、世は「体主霊従」(たいしゅれいじゅう)の
状態となった。
しかし、聖たちはこの世が文明社会の極みに達し、
人心荒廃が進み、世が混乱紛糾した時、
再び自動的(あるいは本能的)に
言霊の法則が蘇るように、
私たち日本人の遺伝子にインプットしておいた。
言霊の復活は最初から
聖たちの計画されていたものであり、
いまがその時にあたる。
混乱紛糾せる世を救うのは言霊の復活しかない。
言霊の再生こそ「霊の本」と「霊止」の再生でもある。
私たち和良久人はこの聖たちの計画に喜んで従う。