仮に、今この先に行うこと、
それがたった一回の動作をもって
完結するとしたら・・・
完璧に行えれば先はあるが、
そうでなければ、終わり。
さあ、そんな場面に直面したら、
あなたは一体どんな気持ちで
その動作に臨むだろう?
昔の武士たちは命がけで政治を
行い国をおさめてきた。
おのれをどれだけ虚しくし、自我を殺して
主君のため、国のために尽くせたか・・・
が武士当人たちの大問題であった。
もし、しくじったなら、他の者のせいであろうが、
すべて自分の責任としてひっかぶり、
腹掻っ捌いて果てた。
いさぎよし。
すべてにおいて「命がけ」をもって生きてきた。
それが、この国を護ってきたわれらが誇るべき
日本人の姿なのだ。
命をかける・・・という意識を強くすることに
よって時間は凝縮される。
思いが深くなり、動作が慎重になる。
あとがない、という状態は強烈に
「今」を大切にする意識が湧き出てくる。
命をかける者に嘘はない。
嘘偽りは地獄行きへの切符となるゆえ、
死と対峙する者はただただ
誠実と潔白のみを楯とし矛とする。
瞬間がすべてであり、
それが永遠につながることを実感する。
古来より武の稽古も命がけでこそ
技を習得出来るものであった。
たとえ意識だけにしろ、命というものを
大切に考えることが魂を向上させる
基になるように思う。
ならば、稽古においてこの「命をかける」
という意識を置いてみる。
稽古の合間に正座瞑目する。
そのときに心の中で
「これから打つ剱が
後にも先にも最後の一本なのだ」
そう思って心を決め、静かに眼を開けて
剱をとって立ち上がり稽古に臨む。
そういう意識をもつだけで
剱をもつ手に品格が備わってくる。
その人のもつ最高の状態を発揮させる。
例えばローソクの芯が尽きる
最後の炎が燃え上がるように。
「あと一本しかない」という
追い詰められた状態が、
精神的に、肉体的に、今までにない
最高水準のその人を創りだすのだ。
明日があるさ・・・と言う歌が流行った。
命をかける者に明日など考えられない。
今行うことは今おこなうだけだ。
さて、日本の武術の技は一撃必殺を旨としてきた。
一発で相手をしとめる。
もし一撃で倒せなかったら恥じとされた。
そんな時代があった。
今は違う。西欧流の自由競争主義が
この国にも蔓延した。
武道がスポーツや、格闘技と同じ位置に
位置づけされた。
とにかく何発でもいい。
倒せればどんな手を使ったってかまやしない。
例え相手が倒れても、参ったと言わなければ
参ったと言うまで殴り続ける。
馬乗りになって押さえつけ、蹴ったり殴ったり。
まったく品格のない戦い方である。
強ければいい。
勝てばいい。
たとえどんな手段であろうが。
・・・果たしてそうだろうか。
いや違う、日本はそんな国じゃない。
稽古鍛錬によって培った威厳、
品格こそが最高の技なのである。
弱いものいじめは絶対やってはならない。
大きいものは小さいものを守ってやる。
卑怯な真似などやろうものなら
「武士の恥」なのだ。
卑怯を行なって生きて恥をさらすより、
死んだほうがましと考えてきた国なのだ。
こんな話が残っている。
日本が開国した当時、
イギリス人が江戸の町に出た。
町の様子を探っていると、
町の人々が本を読んでいる。
また、人々の立ち居振る舞いが
妙に落ち着いている・・・
などの姿を目撃する。
イギリス人は、日本人のその勤勉さと
犯すべからざる所作に思わず息を呑んだ。
そして彼らは
「この国は他のアジアの国々に比べて
まったく品格が違う」と察した。
「上の侍たちをはじめ、下の町の人々まで
何と品格があるのだろう」
とうとうイギリス人は
「この国は植民地にはならない。
そういう対象にすべき国じゃない」
と判断して引き返したという。
日本は戦わずして勝利したのだ。
この時の最大の武器はなんであったか?
一町民の「品格」であったのだ。
力の強さ、身分の高さをもってでなく、
その生き様の薫り高さこそ
国防になるという証だ。
「この日本という国は戦いを挑むような
対象ではないのだ」
「世界でもっとも古く格調高い伝統文化を
われわれに代わって継承してくれている国なんだ」
「日本はわれわれ人類の宝なんだ」
かって外国の者たちが、そのように敬意を表して
くれたように、いま真剣に本来の日本人としての
姿に戻ることが急務なのではないかと思う。
フランシスコ・ザビエルは言った。
「日本人は貧しいことを恥ずかしがらない。
武士は町人より貧しいのに尊敬されている」
武士は町人を、また弱い立場の者たちを
守るために体を張ってきた。
その武士たちのもつ品格は町人にまで
影響を及ぼし国全体が品位に満ちていた。
そんな国が日本であった。
国のため、世界のため命をかけること。
体を張って世の平安を祈り
実践してきた国だからこそ
日本は尊敬されてきたのだ。
いま、それが揺らいでいる。
日本人であって日本人でない者が
増え続けている。
物事に命がけで立ち向かわず、
自国の文化を否定し、心を西洋に置きそれを真似、
神をおろそかに思いおる人、人。
もう一度現代の日本を、あのイギリス人たちが
見たとしたらどう言うだろう。
「この国はわれらが植民地にうってつけの国だ」
そう眼を見合わせてにやっと笑うに違いない。