剱の扱いについてお話しようと思います。
扱い・・・こう申しますと、
「もう慣れているから大丈夫」
とおっしゃる古参の方も
おられるかもしれませんね。
いまさら剱の扱いなんて・・・と
妙に思われるかもしれません。
和良久の稽古をなさっておられる方は、
「剱は手の中でコロコロと
転がすように自転する」
また「剱は、その自転にしたがって
大きく旋回して公転する」
ということを知らない方はないと思います。
自転を起こし、公転が発生する・・・
それが、内旋、または外旋する・・・
そして、八力により剱が八方に発射される・・・
その八力の組合わせが75通りある・・・
これを「75剱」という・・・
・・・以上のようなものが剱のはたらく
大まかなプロセスで、これで剱の扱いのすべてと
思っておられるかもしれませんね。
しかし、実は、剱には、初発に常識では考えられない
もっと緻密な扱い方が要求されるのです。
それは正確に、かつ力強い旋回を生み出すために
欠かすことが出来ない技法なのです。
これを行わないと本当の八力と言えないものです。
これからお話しすることは、
まだ一部の者にしか公開していないことです。
なぜかと申しますと、
この技法を伝えるのは非常に困難であり、
また過去の稽古(和良久になる前)で、
大半の者が挫折し、稽古から遠ざかっていった
要因の一つだからです。
私にとっても大冒険です。
伝えるほうもかなり神経をつかい、かつ面倒であり、
覚えるほうも相当の根気を要するものである
からです。
わざと封印していた技法といえます。
最初から、これを教えていこうとすると、きっと
ほとんどの方が理解不能であろうと予測されます。
ただでさえ困難とされる和良久の剱の技法が、
さらに困難なものであると言うイメージが定着し、
普及に足止めがかかるものであろうと察します。
ですから、和良久の心技を心から理解し、
必死で着いてくる者にしか伝えまいと
今でも思っています。
それも神のご意思のままに、
ほんの数名の者にといまは思っています。
(でも、きっとそのうち時代が替わり、
伝え方が容易になる技法の発達とともに、
和良久が世が受け入れられるような
次元が来るものと期待しています)
まして、このメールなどの文面などで
伝えられる類などではありません。
この技法は、もしかしたら、強烈な信仰心と探究心、
そして不屈の忍耐がないと理解できないもの
なのではと、今のところは思っています。
ですので、今日のこの誌上講座は、
聞き流してもらったらいいと思います。
そんなこともあるんだな・・・と。
ただ、剱というもののもつ奥深さと神秘、
そして、日本の芸事の驚くべき繊細さを
知っていただいたなら、
今回の誌上講座のこの発信は
ひとまず成功かなと思っています。
さて、そろそろ始めます・・・。
いわばこういった技法は一子相伝の世界です。
実際の伝授なくして、この誌面だけで
細かくは解説不可能であることだけは
ご了解下さい。
大きな力をマクロとすれば、力を発生させる
この緻密な力はミクロと言えるでしょう。
例えば、中心の点が軸となって旋回して、
綺麗な円周が描けるのです。
宇宙の始まりも一点の「ホチ」から
始まったと言われています。
無限小から無限大へ。
これはとても大切なことです。
さあ、説明しましょう。
手の説明からまいります。
手の人差し指の付け根の部分、
ここは「腰」とつながっている部分です。
右腰は、右手人差し指付け根に、
左腰は、左手人差し指付け根に連結します。
次に、この手を付けていく剱のポイントです。
剱の形状を思い出してください。
剱は、大きく分けますと、
楕円形状の柄の部分と、
六角形の刃の部分に分けられます。
剱は、柄と刃の境目部分に「くぼみ」があって、
ここに右手親指と中指が入って
「Oリング」の形のように軽く握ります。
左手は、柄の下部を掌に乗せるようにして支え、
手の半分で軽く握ります。
いずれも人差し指は握り込みません。
これで持つ用意は出来ました。
持って、コロコロと手の中で転がすことは
出来ると思います。
さて、この時、ただ単にコロコロと大雑把に
転がすのではなく、「手付け」を行うのです。
剱を持つ左右の手が、剱のあるポイントに
ピタッと入って螺旋を起こします。
そのポイントというのが、この剱の形状である
刃の「六角形の角の線」の延長線。
この六角形の線が柄に向かって
延長線上にあると考えてください。
左右の「手が入る」と申しますのが、
この六角形の延長線に入ることであり、
これを「手付け」と申します。
例えば、八剱の「凝」と言うのは、
右手が棟の左に入り、左手がその対角線、
つまり刃の側の右に入ることが
「凝の手付け」であります。
これを剱を自転させながら、
左右の手を、それぞれの位置につけ、
両手が入ったところで発射、
つまり打つのです。
以上の、表現を和良久では以下のように表現します。
なを、剱の刃を下に、棟を上にしている状態で
以下を言います。
※ 右手は水、左手は火と言う事はすでに
和良久の古い稽古人なら理解出来ると思います。
■アの吸う水火 ~凝
『水、棟左に。火、刃右に入る』
■アの吐く水火 ~解
『火、棟左に。水、刃右に入る』
■オの吸う水火 ~分
『水、棟上に。火、棟上に入り両手右旋す』
■オの吐く水火 ~合
『火、棟上に。水、棟上に入り両手左旋す』
■ウの上がる水火 ~上からの突き
『両手、鎬(しのぎ)に入り、刃が上になる』
■ウの下がる水火 ~下からの突き
『両手、鎬に入り、刃が下になる』
■エの吸う水火 ~動
『火、棟上に。水、棟上に入り両手右旋す』
■エの吐く水火 ~静
『水、棟上に。火、棟上に入り両手左旋す』
■イの吸う水火 ~引
『火、棟右に。水、棟左に入る』
■イの吐く水火 ~弛
『水、棟右に。水、棟左に入る』
※ 鎬とは、剱の左右の角の線のこと
以上の手付けが、剱を確実な方向へ発射させ、
水火を正しく運行させます。
そして八力を知り、言霊の水火を学び、
宇宙を体感し、やがて神に遭遇します。
この『手が剱のポイントに入る』ことを
「手付け」と言うのです。
手付けが行われてのち「打ち」がなされます。
さて、ここで突然話は変わりますが、
参考のため聞いて下さい。
八雲琴は、その形状を竜体と言われています。
琴は、水火(陰陽)を表す二つの弦を
火(左手)で押さえ、
水(右手)で掻き均し(鳴らし)て
音を発生させます。
その音律は邪気を祓い神霊をなぐさめます。
実は、剱も、この八雲琴と
同じ仕組になっているのです。
剱も、その形状は竜体であり、
棟と刃は陰陽の水火を表し、
左右の手が代わる代わる、
琴の弦に相当する、剱の角部分を押さえ、
音なき音律「アオウエイ」を
掻き均して(鳴らして)いるのです。
そして、その作用、やはり邪気を祓い、
神霊をなぐさめるのです。
琴は、言霊の音律を現し、
剱は、言霊の水火を現します。
ともにスサノオの大神さまが
世の平安を招来させるために創られた
神器でありましょう。