自分の位置を知るということは、
まず中心を知ることである。
ここで言う「位置」と言うのは、場であり、
それは空間または時間のことである。
また、中心というのは、真ん中であり、
軸である。
これらは具体的には「ス」の印を意識する
ことにより知ることを得る。
スの印とは水茎文字や、フトマニノミタマに
表れている形で、「○」に「・」の印である。
この印の意味については、
これまで何度も申し上げてきたので
お分かりの方も多いと思うが、簡単に述べる。
「○」は、水であり、地であり、体であり、拡散である。
「・」は、火であり、天であり、霊であり、集中である。
また、○は、活動であり、旋回であり、
・は、静止であり、軸である。
スは、素であり、主であり、澄み切りである。
さて、この印を自分の前面に思い浮かべてみる。
その印を、視界いっぱいに拡大してみるのだ。
視界は、眼に見える範囲である。
目の玉をぐるりと、時計回り、
また時計と反対回りに回してみるといい。
そして、その真ん中に眼を止め、
眼球を静止させる。
これは、平面的なものであるが、
立体的にとらえるため、「前後」も見てみる。
遠近と言った方が分かり安いだろうか。
円盤ではなく、球体で物をとらえるのだ。
次に、フトマニノミタマの「75声」の図を
思い浮かべてほしい。
四角形に、+と、×が組み合わさった図である。
これを眼で描くのである。
まず、天と地、つまり、上限と下限を知る。
次に、火と水、つまり左右の境界を知ること。
これ「+」である。
また、上下左右の境にある斜めに交差する位置
「×」も確認すること。
以上の、「ス」と「75声」の図を
交互に空間に描いてみると、
常に目前にグラフのような網の目を
めぐらせることが出来る。
この空間に描く図形により、
相手をとらえて技を繰り出すと、
正確で無駄の無い動きが生まれる。
例えば、時計になぞらえて
「2時の方向から受ける」とか
「7時の方向に打ち込む」だとか
言うことが自然に出来だす。
少なくとも、まず、真ん中を知ることである。
真ん中を境に、上、または下。
真ん中を境に、右、または左。
真ん中を境に、手前、または向こう。
と言った具合にである。
剱の動きは、「手付け」でも説明したように
まことに緻密である。
稽古で、一般の方が打ちをするのを見るとき、
中心が定まらず、無秩序に振り回す方がいるが、
これでは、この人はどんな生き方を
してきたのだろうと哀れに思う。
剱の動きはその人の人生を現す。
「私はこんな人間です」と大声で語って
くれているようなものである。
また「これから私はこのように動きますよ」
もっと言えば「私はこのように生きますよ」
と、宣言しているのである。
剱を持つと、持った人を裸にする。
つまり、「ス~素」にしてしまうのである。
そして、剱を振ると水火の形が現れる。
水火は、ご承知のように「心」そのものである。
自分という人間をさらけ出し、
人の思いをも垣間見ることが出来る世界が、
武の世界でもある。
そこで、そういった「水火が見える相手」に
さとられないためにも、癖の無い動きを
習得する必要がある。
それには、無駄の無い
速くて強い動きが要求される。
この無駄の無い、強くて速い動きを生み出す
力の根源が丹田であり、丹田の力を生み出すのが
腰である。
腰を上手に使うことで、秩序が生まれ、
それは空間に升目を描くように
正確無比な技を生み出す。
もっと簡単な説明をすると、
八剱の型で剱を打つとき、アオエイのすべてに
規則性があることを発見するだろう。
下で旋回させて、打ち上げ。
上で旋回させて、打ちおろす。
この下からと、上からというのを
はっきりすることが大切である。
稽古で見ていると、この上からと下から
というのが、出来ていない方がおられる。
地のものは地から、天のものは天からという
秩序を把握していると出来るはずのものであるが、
この区別をはっきり出来ることが重要である。
自分の中で、「真ん中」があり「左右」があり
「上下」があり「前後」があると、
こういった迷走は生じない。
正確に打つということは、
腰が働いている証拠であり、
水火が活用されていることである。
こういった人の動く動きに、安心感があり、
美しさがある。
こういった人たちならお互いに剱を自由に
組み合ってもまったく怪我の心配など皆無だ。
こういった秩序ある動きを「天国の動き」と言う。
しかし、中心のない、空間に区画のもてない
人の動きは危険極まりない。
秩序の無い動き。これを「地獄の動き」と言い、
闘争が耐えない空間を現出する。
霊界には、この区画がはっきりしており、
生きているうちにこの区画を知り、
整理しておくことである。
そうするといま自分はどのような霊界に
属するのかが分かる。
もっともよいのが、「ス」と「75声」の
図の法則にあっていることである。
つまり、中心があり、区画整理された秩序を
理解できる状態にあることである。
それが上に、あるいは下に、右にあるいは左にと
偏りがあるうちは気をつけて修正していくこと
である。
体の位置は、心の位置であり、
心の位置が体の位置を表すこととなる。
自分の見える世界にひずみ、歪みを感じるのなら、
それを正すことに専念すべきである。
ひずみ、歪みのあるところは魔が進入しやすく、
魅入られやすい。
いまの世のほとんどの人が、自分でも知らないうちに、
この魔に魅入られている状態にある。
自分の位置を確保し、境界線を引くことは、
また結界を築くことでもある。
堅固な結界を築き、魔界からの進入を
阻止することが急務である。
手遅れにならないうちに、これを知り、
これを行える人は幸いである。
まだ辛うじて間に合う。
剱をもった稽古により、それは修正可能となる。
神代以来、いつの世も魔界からの侵略から
この世を守ったのが「ツルギ」の威徳であったことを
忘れてはならない。
そして剱をもち、命がけで国を守ってきた
武神たちの思いを忘れてはならない。
日本武道を甘くみてはならない。
これを捨ててはならない。
日本は武の国である。
世界を守る武の国である。