7月に和良久指導のためイタリア渡航が決まった。
向こうでは終日和良久の公開稽古が行われる。
「私はそちらへ観光旅行に行くつもりではありません
ので、すべてのスケジュールを稽古で埋めてください。
なるべくお伝えすることを伝えておきたいので
私をめいっぱい使って下さい」
主催者にそうお願いしていた。
昨日、具体的な日程等が決定し、送られてきた。
もちろん私の意向どおり
朝から晩まで稽古という嬉しいスケジュールである。
ところが以下のような予定も
組んでいてくださったことに驚いた。
『15日(土)
イタリアの聖なる守護神・聖フランシスコ修道院の
あるラ・ヴェルナ教会に参拝』
・・・私はこの配慮に感謝し、
こう返事をさせていただいた。
『聖フランシスコにお参りできることは
何よりの喜びです。
以前、誰の祈りの言葉か知りませんでしたが、
素晴らしい祈りの言葉だったので
ずっと口ずさんでいた言葉がありました。
それが聖フランシスコの祈りの言葉だったのです。
聖フランシスコの生き方は私に深い影響を与えました。
彼の作った「太陽の歌」に見られるその思想は、
日本神道と共通した考え方です。
決して武力をもって戦わず、
人類を兄弟として接する方法を広げるなどは、
和良久の考えとまったく同じであり
本当に深いご縁を感じてなりません』 前田比良聖
以前、私は聖書もよく拝読させていただいていた。
ぼろぼろになった聖書はいまも机の上にある。
また聖書に関連のものも眼を通していた。
そこである時、このような祈りの一文に出会った。
素晴らしい一文だったので、私は、一時期、
誰の祈りか知ることもなくこれを暗記し
何度も何度も復唱した。
『神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛を
争いのあるところに、許しを
戦いのあるところに、和合を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、喜びを
闇のあるところに、
光をもたらすことができますように、
私を助けそして導いてください。
神よ、
慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを
わたしに望ませてください』
ある日「それは聖フランシスコの祈りの言葉だよ」
と友人が教えてくれた。
その名は、アメリカのサンフランシスコの
名の由来になったとも聞く。
フランシスコの願いはただ
キリストと一体となることであった。(鎮魂)
清貧に甘んじたその生涯はまさしく
キリストの再来と言われるものであり、
やがてキリストと同じ聖痕(せいこん)が体に現れた。
(帰神)
太陽を、月を、自然界の生きとし生けるものを
兄弟と呼び深く愛した。
十字軍に従軍し、戦いをいさめ
武器を捨てる方法を伝えた。
被造物全てを和合へと導く
「平和の道具」となることを
身をもって実践したのだ。
それは私がまだ鳳雛舘での苦悩の修行時代であった。
この言葉に感動し励まされ、そのようになれたらと
一所懸命祈りながら稽古を続けた時期であった。
やがて和良久が誕生した。
この技をもって世界の破壊的武力を撤廃させたい
と願い続けた。
「神様、どうか私をあなたの手足となら
せてください。平和の道具としてお使い下さい」
その願いはいまも朝夕の礼拝時に続く。
その願いが共鳴し、共振したのか。
いまご縁をいただいて
海を渡ることになったことをとても不思議に思い、
神様の計らいに心から感動し感謝している。