米・・・
中身より外観を重視する現代。
中身がないことを本能的に覚るゆえか、
中身を知られないよう、身を着飾り、
顔を化かし、香水で匂いを隠す。
中身充実すれば、中に相応した外観が現れる。
中身だけの自分であるから
本当に隠すことなど出来ない。
先に日本人の体型が外国化してきたと言った。
ワイルドに彫の深い顔と筋肉質の体型。
日本人の体型は格好悪いと嫌う者が増えた。
あんこ型といわれる、
ぽっちゃりとしたふくよかさ。
(但し、肥満とは違う)
これが昔の美人の条件であったのに。
日本の美は、一言で言えば水水しさである。
日本は、国土そのものが適度な湿気に潤っている。
ヤマトタケルも歌った。
「大和は 国のまほらばたたなずく
青垣 山ごもれる 大和しうるわし」
外国へ出かけ、また日本へ帰ってきて、
飛行機の上から日本に差し掛かった時、
体が覚えているのか機内の放送が無くても
「ああ、日本が近づいたな」と分かる。
そして、窓の外を眺めると緑をたたえ、
その上にぼうっとした霊気を帯びていることが
確認される。
その粒子はきわめて細かく、
まるで絹のような優しさと柔らかさがある。
外国へ行くと逆に粒子が粗いのが肌に感じられる。
稽古人には、螺旋波動と鋭角波動の差、
と言えばお分かりいただけるだろうか。
ある時、この話を植物に詳しい方にしていたら、
こう話された。
「そうなんです。外国の植物は何につけ
色が派手でつくりが大雑把です。
乾いたドライフラワーのような感じです。
地域に適したつくりなのでしょう。
それに比べ日本の草花は色合いおとなしく、
静かにひっそりと咲いています。
何より水水しいです」
植物は、場の邪気を吸い取ると言う。
環境に合わせて形や色、匂いが変わるのだろう。
さて、日本では水水しい潤いと、
温かなふくよかさを湛えた人を美しいとする。
近年、この粒子が外国並みに粗くなってきた。
原因の一つに、先の言葉の問題に加え、近年、
米を食べると太るから米を食べるのをやめようと
言うことを言い出したことも大きいと思う。
米を食べると腰周りを中心に、
体全体がふっくらとする。
腰は体の要であり、「腹」といわれる
丹田の体内エネルギーを守り育てる、
まさしく「丹の田」でもある。
米は、この丹田を守り育む場所である
腰周りをサポートするのに大切な
栄養素をもった食べ物である。
米には、天(風)、地(土)、水、火という
四つのエレメントが入った重要な食べ物である。
米を食べることによって、
肉体が地球の本来の姿なる「水気」で満たされる。
慈悲の心、優しさ、本当の勇気などは
米を食べることによって育まれる。
七福神を見れば分かる。あのぽっちゃりした体型。
あの姿を見るだけで心が潤うであろう。
魂を枯らしてまで格好を優先するなどは、
日本人であることを捨てるようなもので、
本当に情けないことだ。
また「米を食べるなら肉を食べよ、
米は太るが肉は太らない」
などとテレビでやっていた。
それにも感化されて
益々米食から離れる人が増えている。
なんて怖い話だ。
米は生きた食べ物である。
肉は死んだ食べ物であるのに。
まさに死肉をあさる餓鬼(ダイエット思考)
のような時代が来たのかと怖くなる。
両手・・・
近年、外国の文化が主流になり、
ベッド、イス、トイレなどの普及と、
「おしゃれ」な振る舞い方法を外国に求めたせいか、
日本の身体操作方法が消えてきた。
物の扱いが荒くなり、部屋に土足で上がりこむ
などの習慣も定着しつつある。
何を行うにも腰が入らず、
腕や脚だけの部分的筋力の活用を
重視するようになっている。
何でも片手で扱うなどは
「礼儀知らずの横着者」と
日本では叱れてきたものだ。
両手を同時に動かすことは立派な鍛錬になる。
両手を合わす形を結びと言う。
結びとは、火と水の両方の融合である。
結びの技とは簡単に言えば、
物をつくりだす力であり、
形を整える技でもある。
結びを行うには、片手で横着せず、
必ず両手で丁寧に物を扱うことが大切だ。
一つのものに対し、両手をもって
扱うことによって腰が動く。
腰が動くことによって腹(丹田)が活動し、
全身が統一された美しい動作となるのである。
つまり両手扱いは、
エネルギー充足の状態となるのである。
両手で動作を行うと、自然に腕が丸くなり、
その形をとることによって
内外のプラス(火)とマイナス(水)の
エネルギーが螺旋を起こし、スムーズに巡る。
それに対し、片手扱いで行っていると、
火と水の結びがおろそかになり、
優しさ優雅さが消える。
両手合わせて
「いただきます」「ごちそうさま」と言うこと。
両手合わせて相手にお辞儀をすること。
両手でお茶碗やお皿をもって食事をすること。
両手で物を手渡してあげること。
両手で支えてあげること。
日常の生活において
両手を使うことを心がけること。
このように物事を心がけて両手を使うようにすると、
きっと人生が変わることだろう。
人生が片手落ちとならぬよう心がけたいものだ。