刀(カタナ)とは片無しにする力で、
片薙(カタナ)ぎ也の意である。
人と人が戦い争い奪いあい、
それによって常に片方が生き残り、片方が富み栄え、
片方が貧しさに苦しむ結果となる。
これカタナなり。
カタナとは、弱肉強食、われよし、
強い者勝ちなどの体主霊従的精神を言う。
それに対し、神と民、人と人、
そして男(水)と女(火)が結び合わされ、
対称に釣り合わさるる力。
これをツルギと言う。
ツルギは「タタノチカラ」と呼ばれ、
それはカタナに対する対照力を意味し、
右左旋にはたらく旋回力から生まれる
「水火の結び」の力である。
タタノチカラは、微粒子なるコエノコ(神霊原子)で
構成されている。すなわち言霊である。
このタタノチカラを用いる神をタヂカラオと言う。
つまりタヂカラオは、75声の言霊の力を用いて
水火の結びを行う者と言う意味である。
もう少し説明を加えると、人々の心の奥底に閉ざされ、
角質化した意識の層(岩戸)を言霊の水火の力によって
打ち開くはたらきを「タヂカラオ」と言い、
開かれた意識に活力を与えて、
何事にも屈することなく、忍耐強く、
前向きにどんどん進むはたらきを「スサノオ」と言い、
本来の霊止(ひと)としての姿に立ち返って、
自分のもつ能力を全開させて
その光(知恵・力・勇気・和合)を
全世界にあまねく放射する働きを「アマテラス」と言う。
神諭にあるように、現代にはびこる
カタナの技を取り上げ、昔のツルギを世に出す時。
カタナに堕した現代の世を改め、
元のツルギの世に戻すことは、
言霊の幸はふ国の民である日本人の使命である。
タタノチカラ(対照力)は、
また火火水(カガミ)を発生させる。
火火水は、万物の霊魂と身体の巡り巡る
螺旋の作用により反射する力を言う。
自分が打ったら自分に返ってくる。
相手が打てば自動的に相手が打たれる、
・・・と言うような、
まるで天に唾する現象が起こるのである。
誠実と潔白の者に対し、
虚偽や暴力を行使しようとするならば
この力が自動的にはたらくのである。
水火の力が高まれば、
相手がこちらに何かを思ったと同時に、
その答えが相手に返っていく現象を感じる。
自業自得と言う言葉の通りである。
また思いは必ず叶うというのも
この火火水の力である。
相手の動きを同時に返す、と言う「鏡」の力を知れば、
御神体として使われる鏡の意味も解ける。
つまり、神に願ったことは、
願った瞬間に神はそれをお聞き届け下さり、
自分が思う以上の姿で叶えてくれる
と言うことが分かる。
信仰とは望んでいることを確信し、
まだ見ていない事実を確信することである。
また、自分の周囲に起こる出来事は、
すべて自分の心の中の現象の移写したものであることを知る。
これ鏡の法則である。
良くない出来事が身の回りに起こり、
悪しき企みを抱く者たちが寄って来る・・・
これもみんな自分の心の反映である。
内に風が吹けば、外にも風が吹く。
内が震えば、外も震う(地震)。
内に水(涙、血)が流れれば、外に大雨、大水が起こる。
内に火(怒り)が起きれば、外に火が燃え上がる。
心麗しい友人に恵まれるのは、
あなたの心が麗しいからであり、
幸運な出来事に遭遇するのは、
あなたの心が豊かであるからなのだ
と言うことを知らねばならない。
もし現状の改善を願うなら、
自分の心を整理しなければならない。
それは現代どころか、
未来も過去さえも変えることが出来るのだ。
自分の心に黒雲がかかっているのに、
周りが晴れる筈が無い。
黒雲起これば後は雨が降るだけなのだ。
自分の気持ちを整理し、理解し、自分自身と和解すると
驚くほど周囲の出来事が変わってくる。
自分が変わるだけで、奇跡は起こる。