7月14日(金)晴れ
関西空港出発ゲートで沢山の稽古人のお見送りを受け
(ありがとうございました)、11時15分に日本を発った。
離陸直後機内で、ほわ~とした温かい気持ちに
包まれた瞬間があった。安心感である。
帰国後、皆が出発の際、私が搭乗する機に向けて
祈ってくださったことを聞いたが、なるほどと思った。
いつも自分が稽古人とつながっていることを
あらためて感謝した。
11時間ほどでオランダのアムステルダム、
シーポール空港に到着。
乗り換えのため、ゲートを移動。
日本のように丁寧な案内表示などなく、
よって聞きながら行くと
とうとう端から端まで来てしまった。
何分歩いたのか、とにかく広い空港だ。
行きは4~5時間待たねばならないので余裕がある。
しかし、帰りの乗り継ぎが一時間あるかないかで
余裕がない。どうなることやら。
途中、パスポートを見せ荷物検査を受けて、
ようやく指定のゲートにたどり着く。
待つこと約5時間。
出発時間やゲートの変更もあって、
かなり遅れての出発。
2時間かかってイタリアのボローニャ空港に着く。
もう夜中の12時。
空港で待ち受けていてくれたフラビオさんや
アルドさんほか数名の方たちと共に車で移動。
空港から、さらに一時間ほど走って
とある駅に着き、そこでまた30分ほど人を待つ。
駅ではすでに一時を過ぎている。
待つことしばし、汽車が到着し、
改札から岸先生ご夫妻が出て来られた。
岸先生は指圧の先生で、整気、霊気という、
独自の療法を開かれて
ヨーロッパ各地をその技術の指導に忙しく回られている。
年の半分はここヨーロッパに滞在されている。
私がイタリアに行かせていただくご縁は、
この岸先生たちにとの出会いから始まった。
以前、岸先生が日本伝統研修のため、
亀岡の大本本部にヨーロッパのお弟子さんを
大勢引率されて来苑されたことがある。
そして大本において和良久の稽古も切望され実現した。
和良久の稽古に、参加者全員が驚きと感動を覚えられ、
「和良久を母国のイタリアに紹介し広げたい」として
具体的に行動をおこされた。
そして話し合いの上、
私が行かせていただくことになったのである。
二台の車で、岸先生ご夫妻と共に再度出発。
さらに二時間走り、ペンナビリという町にある
ホテル「ポゲット」に到着。
もう午前3時。
簡単に明日の打ち合わせを済ましやっと部屋へ。
部屋に入って礼拝。天津祝詞、神言奏上。
無事到着を神様に感謝。
荷物の片づけをし、朝の4時ようやくベッドに。
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7月15日(土)晴れ
5時半に起床。
朝バルコニーに出て驚く。
なんて綺麗な町なのか。
眼下に広がる素晴らしい山々。
町の中ほどにある小高い山の上にそびえる
ひなびた教会。
古い石畳が続く道にこの土地の伝統を感じる。
時間ごとに鳴り響く教会の鐘の音。
明るく語り合う人々の声。
それらはまるで
イタリア映画の世界そのものであった。
私の好きな映画「ライフイズビューティフル」
「ニューシネマパラダイス」などのシーンが
現実にあった。
自室での礼拝後、荷物整理、そして朝食。
朝食後、イタリアの皆さん10数名とともに、
3時間車を飛ばし、ラベルナ教会に向かう。
ここラベルナに行くのに
随分遠回りをしなくてはならなかった。
というのも、この地において
バイクレースが開催され、
いつものラベルナ教会に行く道が、
そのレースのコースになっていたのだ。
だから、距離が倍かかったようだ。
この長距離を私を乗せ、運転してくれたのが
エレナさんという80歳のご婦人である。
エレナさんは、和良久の稽古に参加のため
3日かけてフランスから出てこられた方だ。
仕事は国連で役職につく偉い方である。
なぜか顔が、亡くなった私の父方の祖母に似ていて
妙に親近感を覚える。
おしゃれで、お上品な方だが、
その運転技術は恐れいる。
どんどんどんどん先行車を追い抜かし、
スピードはレース並みの速さ。
しかも長時間の運転にも
疲れを全く見せないそのスタミナ。
ラベルナに行くのに、車3台を駆って出かけ、
フラビオさんが運転する先行車、
二台目にエレナさんの運転する私の乗った車、
そして若者ニコラの運転する後続車
といった隊列が組まれての走行だった。
そのフラビオさんの先行車が山道で急に止まった。
「どうしたんですか?」と聞くと
エンジントラブルらしい。
ボンネットを開けて、皆が集まり
あ~だ、こ~だと言い合って苦心している。
そんな光景を目前にしながら、
私はふと山の手側を見た。
すると、まことに枝振りの立派な松の木が
眼に入った。
いやー、日本でもこんな
バランスの整った松の木はない、
と感心し、車を降りてその木のそばに行った。
そして、
「神様ありがとうございます」と言い、
その松の枝の一本を頂戴した。
車に戻ると、まだ修理にてこずっており、
手の施しようがない様子で、
どうしたものか・・・と皆が唖然としている。
私は、皆に知られぬよう、
空に向かい一心に神様にお祈りを捧げた。
小声で天津祝詞を奏上。
「おほもとすめおほみかみ」
「かむながらまみちいやひろおほいつき
くになおひぬしのみこと」
「りゅうぐうのおとひめ」
「たぢからおのかみ」
「聖母マリア」
「主イエスキリスト」
「聖フランチェスコ」
「われ等に進む力を与え、
われ等を目的の地へ導きたまえ」
そう祈り、エンストの車に向かって
腹に力を入れて右手で「ウッ」と念を凝らして指差すと、
その瞬間「ブルンッ!」とエンジンがかかった。
そのタイミングの速やかさに
私自身びっくりした。
すぐ、空に向かって神々に感謝の言葉を唱え、
皆のいる車のそばに寄っていった。
車に向かっている皆は、
突然かかったエンジンに「おお・・・」と驚き、
喜こんでいる。
「先生、お待たせしました。なんとかかかったようです。
出発しましょう」とフラビオさんが言い、
それぞれ車に再び便乗し出発した。
やがて、道はなだらかになり、
ミケランジェロと言う表示が出だした。
「ここはミケランジェロの生まれた所なんですよ」
とエレナさんが説明してくれた。
ミケランジェロは、あのレオナルドダビンチや
ラファエロと並ぶルネサンス期の巨匠である。
このような綺麗な山々や美しい自然環境に囲まれてこそ
ああいった芸術的感性が培われたのかと思う。
やがて、ラベルナの表示が見え、
山頂の方に眼をやると
石で積まれた建物が見える。
ラベルナは、アッシジと並ぶ聖地で、
聖フランシスコがこの山を見つけて
己の修行場とし、天界のキリストと話をし、
やがて両手、両足とわき腹に
キリストと同じ聖痕が現れた奇跡の場である。
「アッシジは観光化されているが、
ここはまだまだ昔の面影が残っていて、
とても雰囲気の良い素晴らしい聖地です。
アッシジもいいが、前田先生にはこちらの方が良いと思い、
こちらを選びました」とフラビオさんが言う。
当初、アッシジに行くと思っていたが、
ここへ来てみて良かったとおもった。
ここにはフランシスコの息づかいが残る。
まさに修行の場である。
古い教会のレストランで遅い昼食をとる。
ここには大きなフランシスコを描いた
絵がかかってある。
このレストランでまた三人の人に落ち合う。
一人は今後イタリアで
私の通訳をつとめてくれるアッテリアさんとご主人さん、
そして娘さんのグレタちゃん。
グレタちゃんには日本から
トトロの人形をプレゼントにもって行ってたので、
渡すと喜んでくれた。
アッテリアさんは、あのサッカーの
中田英寿選手の通訳をつとめた方でもある。
頼もしい。
あと二人はイタリア日本大使館の鎌田さんご夫妻。
ますます人が増え、私の一行は、
団体旅行のような賑やかさとなる。
鐘が鳴り、修道僧たちの礼拝が始まった。
私たちも食事もそこそこに教会に急ぐ。
パイプオルガンと、歌うような
祈りの言葉のハーモニーが
高い天井と古い建物壁をやさしく響かせ、
私たちの心にしみこんでくる。
礼拝後、宗教行列が始まった。
数十名の修道僧や信徒たちが教会を出て、
祈りながら教会の周囲を練り歩く。
皆が出て行ったその間、
教会の中にあるフランチェスコの
遺品などを拝見する。
遺品から伝わる壮絶な生涯を経た生き様は、
風のようにわが身に吹いてきて
知らず知らずに涙があふれる。
やがて、行列は戻ってきた。
教会の中で再び讃美歌が美しくこだまする。
そして一連の行事は終了し、神父様の案内で教会内や、
周辺の建物の説明を受けた。
岩の多い山である。
ところどころにある洞窟で
フランチェスコは一人篭って行をしたと言う。
フランチェスコは
ひたすらキリストに近づくことをこいねがった。
私にとってキリストは出口王仁三郎聖師に、
フランシスコは日出麿先生に重なってならない。
その生涯も非常に酷似したものがあり、
両者に親近感を覚えた。
説明を受けるたびに体が震えて涙があふれた。
人に見られぬよう涙をぬぐいながら説明を受けた。
最後の場所は
建物の奥深い場所にある礼拝場であった。
「ここでフランチェスコは
深い祈りをなし聖痕を受けたのです」
通訳をするアッテリアさんも
感慨深い面持ちである。
私は神父様に厚くお礼を言った。
私は神父様が立ち去ったあとも
しばらくその場を動けなかった。
自分は、一体どこまで信仰心があるのだろう。
自分は、どこまで神を求めただろう。
自分は本当に真剣に生きているのか。
しばらく自問自答した。
「前田先生、行きましょう」
アッテリアさんの声でわれに返った。
アッテリア
「先生、教会が先生のお着替えの部屋を
用意してくれました」
着物に着替えて奉納する旨を
あらかじめ言っていたのでありがたかった。
この日のために松本さんが用意してくださった
上下金色の着物と袴を着用し、
奉納場所へと向かった。
奉納場所は、フランチェスコが行をした
ある巨岩の前である。
その場所に向かう道はまるで
日本の神社の参道の雰囲気そのものである。
巨岩の前に、来る途中いただいてきた
松の枝をさしてヒモロギとし、
天津祝詞を奏上し奉納を開始した。
「スーウーアーオーエーイー」と
言霊を発しながら八力の型を行い、
布留を続ける。
八剱に移り、
そのまま75声を発しながら75剱を行う。
そこは、まるで別世界のような気がみなぎった。
ここは日本かと思われるほどの空気にあふれた。
おりしも巨岩の上から太陽の光が漏れ始め、
私をまぶしく照らしてくれた。
大いなる祝福を受けてるような感に満たされた。
そして内から一層力が湧いて来た。
そして奉納を終え、感謝の礼拝をなし、
無事一連の行事は済んだ。
同行者たちは声一つ、物音ひとつ出さず、
見守っていてくれた。
本当に私の人生にとって
心に残る奉納となった。
夕陽に映えるラベルナを後に、
私たちはペンナビリの町に引き返した。
奇跡の地、ラベルナに
また訪れることがある日を楽しみに、
イタリアの聖人フランチェスコの面影に
深く礼をした。
聖人は温かく手を振って
私たちを送って下さっている
ように思えた。
鳥の声、木々の木漏れ日、流れる水の音。
そのどれもがフランチェスコの声に思えた。