特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座647「稽古は正しい神の姿を真似ること」

日本の伝統芸能、ことに能楽、武道、茶道には
正神の動き、言葉、思いが込められている。

そこには共通した一定の法則がはたらき、
熟練した者には、その違いを見つけることの方が
困難である。

足さばき、体の転換、呼吸、間合い、目配せ、
先読み、時節のとらえ、調和、リズムなど、
これらはまるで同じものが創作したようである。

同じ意思の元に出来たというなら、
それを神と言うのであろう。

腰に動きの原点を置き、腹に思考の基本を置く。

手足は、その腰の動きに呼応し、
顔の表情は、腹の意思により変化する。

また種々の道具を使う繊細さ。

武道の剱。
能楽の扇子や鳴り物。
茶道の茶筅、茶杓、他の道具。

道具を扱うに両手に留まらず、
全身を余すことなく用い、
しかも常に体の中心に道具を据える丁寧さ。

これらの扱いのなんと繊細なことか。

武道の剱の扱い、これ最も古く、この扱い方が
他の芸能に影響を与えているのは間違いない。

動きはじめたるに静まった業師の姿・・・。

この姿こそ神界に在りし正神の姿である。

歩けば、川の清流のように静か、かつ豊かであり、
座れば富士山のように気高く重重し。

ひとたび口を開けば、
その音律は大自然に移ろう四季を現出す。

常に腰低き姿勢を崩すことなく、
ただ優雅に、落ち着いて
淡々と歩み、留まり、立ち、座る。

何を言うも、何をなすも、皆、
道理に適って理に通ずるかのように、
見る者にとり、その存在がただ尊く有り難く感ず。

そして見る者は閉じた眼を見開き、騒ぐ口を塞ぎ、
ここになかった心をここに取り戻す。

日本の稽古は、正神の姿を
ひたすら真似ることに終始す。

稽古は、正しき神の姿を追い求めること。
真似ることなり。

正神の言葉、正神の呼吸、
正神の動きを追い求めるところにまことの向上があり、
まことの幸せが約束される。

これ鎮魂帰神なり。

是に反し、卑しき邪神に学ぶことなかれ。

邪神の言葉は父音の温かみなく、
その声は獣のうめき声なり。

邪神の動きは鋭角を描き、場を乱し、
その技、獣が獲物を狙うごとし。

邪神の思いは嫉妬、怨恨に満ち満ち、
その思念は地獄をつくる。

邪神、邪霊に体を乗っ取られないためには、
以下に注意をすること。

1、偏食をせず何でも感謝して食べること。

1、夜は睡眠をよくとり、昼間はよく活動すること。

1、わが身とその周辺を清潔に保つこと。

1、美しいものを見、穏やかな音を聞くこと。

1、言葉を出す時に、父音を意識すること。

1、人に接するに笑顔を忘れないこと。

なぜ以上に気をつけるか?

邪霊は、偏食をし、闇に活動し、悪臭を好み、
穢れた場と騒がしい所に住み、言葉汚く、
人を嫌い、形相険しいからである。