いよいよ自由に八剱を選んで打つ稽古に入りました。
いままで、凝と凝、解と解、分と分、合と合・・・
と言うように、同じ八力を申し合わせて
打ち合って稽古してきましたが、
それも皆のたゆまぬ鍛錬でスムーズに
馴染んでいただけたようです。
ですから、今度は同じ種類の八力ではなく、
自由に打って合わせてみてください。
ただし、今までどおり、入門の段階として、
ゆっくり丁寧に、正確に行うことを約束して下さい。
怪我のないよう、相手を気遣って動くことが
大切です。
まず、以下のことが出来ていますか?
1、腰が八力により動いているか~腰が入っているか
2、言霊の発声がきちんと出来ているか
3、打ちがすべて「ウ」の位置に集中しているか
(最重要事項)
4、手付けが出来ているか
5、「スー」「ウー」「アオエイ」の順序と意味を把握しているか
6、言霊と八力が符合しているか
~例えば「ア」と発声して、凝もしくは解が打ててるか
7、音声の波に乗って剱が動いているか
・・・以上の中で、
特に3番目のところを最重要事項と書きましたが、
これが出来てこそ和良久が「動く鎮魂」と謂われる
由縁を知ります。
まず鎮魂帰神の印を思い出してください。
この印は、左右の手を組んで、手の中に渦巻きを、
つまり螺旋文様をつくります。
これは火と水の水火の結合、
つまり結びの技(生す、蒸す、産す)を現すものです。
宇宙の螺旋するエネルギーの躍動を
この印に見ることが出来ます。
75声の発声の際、この組んだ手を、
前後、上下、左右の真ん中に据えて固定します。
「天地結水火」の中心に、この印を置くのです。
この鎮魂・・・静かなところで、
ただじっと座って行うなら、誰でも心が静まるでしょう。
なにやら鎮魂をした気分になれるでしょう。
当然です。静かなところを選べば
誰だって落ち着くものです。
ことさら印など組まなくてもいいくらいです。
ご承知のように、自然環境素晴らしい、
静かな大昔の時代に私たちは生きてはいないのです。
大事なことは、鎮魂が喧騒な中で、また不安定な場で、
行われなければ意味が無いということです。
われわれは、毎日ストレスに覆われて生きています。
失敗が許されないという葛藤に悩まされて生きています。
こんな時代だからこそ、鎮魂が必要なのです。
「動く鎮魂」でなければ意味も無く、必要もないのです。
いちいち深山幽谷に分け入って
瞑想修行を積んでる間などないのです。
いま、騒がしいこの瞬間、瞬時に鎮魂を行い、
即、集中した活動ができることが
求められているのです。
だから・・・稽古が必要なのです。
参考になるかどうか・・・こんなことがありました。
私が若い頃、20歳ぐらいだったか。
空手の内弟子時代の頃のことです。
友人が海で遭難し、
警察や消防も総動員して捜索するも
とうとう発見できませんでした。
それでも俺たちの手で見つけてみせる・・・と
仲間数人で捜索を続行し、
とうとう執念で遺体を発見しました。
遺体は、遭難現場から20キロ離れた
岩場の間に流れついていました。
よく死体の中で水死体が最も酷い、と言われていますが、
それは本当でした。
頭髪は抜け、眼球は無く、体中は魚や生物に食われて
あちこち破れ、皮膚は白く、
そこに全身の血管が蒼く浮き上がっています。
敗れた皮膚から骨や内臓が見え、
海の虫なのか、蛆なのか、
その傷ついた体のあちこちにわいています。
それはホラー映画で見た何よりもむごい様相でした。
なにより、その腐敗臭の猛烈なこと。
体からガスが発生して、
体が約2倍ほどの大きさに膨れ上がり、
ゴムボートのように水面からぷっかりと浮いています。
発見後、早速、警察に救援を要請すべ
く漁船に乗った仲間が現場を去りました。
私と空手仲間で村上と言う男と二人で、
友人の遺体を波に流されないよう
押さえることになりました。
さあ、いざ、その遺体を眼の前にした時、私は一瞬、
吐き気をもよおし、また押さえる手を躊躇しました。
その瞬間です。村上の叱咤が飛びました。
「前ちゃん!前ちゃんは黒帯やろ。
その黒帯は道場だけの黒帯か!」
それは村上の声とは思われない威厳に満ちたものでした。
それはきっと神様だと思います。
神が村上を通してご教示くださったのだと思います。
その一言で、私ははっと眼が覚めました。
同時に「そうだ、俺は人生においても黒帯でなければ」
と思ったのです。
友の一声で騒いでいた心が静まり、恐怖も不安も消えて
ただ、今なすべきことに集中できた。
いつもの稽古の時の体勢に入れたのです。
その後、警察が来るまでの約一時間、
私は不思議と、怖いとも、臭いとも、汚いとも思わず
波間にゆれるボロボロの遺体にしがみつき、
救援を待ちました。
思えば、この時の感覚・・・これが鎮魂のような気がします。
その時代の稽古でも、私は全日本選手権の選手でしたので、
大試合の中においても落ち着く訓練は積んでいました。
それが恐怖で一瞬ぐらついたのですが、
稽古仲間の一喝で、試合に臨む体勢に入れたのです。
普段の稽古をしていても、
いざなにかあったら、本当に落ち着いて行動できるのだろうか
・・・と、よく言いますが、心配ありません。
普段の稽古で培った自信と、自負が、自分を奮い立たせます。
しかも、そこには大いなる他力がともなっています。
私は、こういった経験で思うに、やはり人間は稽古をして
おかなくちゃ、本当の力は出せないものだなあと思うのです。
何があっても中心に水火を据える・・・
これが鎮魂を行うに大事なことなのです。
鎮魂は、本当に恐怖や不安から脱却させてくれます。
身も心も中心に集める・・・
この中心は、体で覚えるしかありません。
暗闇でも、どんな時でも、
体の中心に水火が集中するように心がけて剱を扱うのです。
・・・これが出来れば、例えば
こういった稽古が可能になります。
「眼を閉じて剱を打つ」しかも、
その剱が必ず相手と十字が組まれるのです。
方法はこのように・・・
①「スー」で鎮魂
②「ウー」で間をしめ剱尖を合わせる
③眼を閉じ、お互い「アオエイ」いずれかをゆったり
発声しながら、好きな八剱を選んで打つ
④音声が終わると眼を開けてみる
(相手と十字が組めていたらよし)
⑤「スー」で戻る
眼を頼らず、水火と言霊を頼りに
ひたすら中心に向かって剱を打つ。
相手を傷つけず、相手に傷つけられず・・・。
非常に心が集中できる面白い稽古だ思います。