特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座

誌上講座660「農耕民族の動き」

和良久の八力の動き、これは農耕民族の動きです。

何をなすにも、足をしっかり根付かせ、腰を入れて、
精一杯両手を使うその仕草の慎重さ、繊細さ。

宇宙創造から未来永劫へと続く言霊
「スウアオエイ」を唱え、天を仰いで、
木々に実る木の実をもぎ、枝を払い、また、
地に伏して、土を耕し、草を刈り、苗を植えます。

天に、地に、声を限りに万物の生成化育を司どる
天の数歌を唱え、自然の恵みの更なることを祈り、
その神秘なる神のなされる永遠の技を讃えます。

高く、高く・・・なお高く空を仰ぎ、雲の流れ、
星のまたたき、月の静けさ、陽光の勢いなど感じ、
神の偉大さを、あらためて意識してみてください。

低く、低く・・・なお低く地に伏して、
すべてを産み育む土の温もり、
地球に引き込まれる力の凄さ、
そして、われと言う者を生み出し
土に帰っていった祖先の声を聞いて下さい。

わが魂、天から宿りて天に帰り、
その魂の永遠なることを知り、わが肉体、
地にて創造され、地に帰り、
その肉体の限りあることを知ります。

土に親しむことが少なくなった昨今、改めて、
こうした野山に分け入って自然に親しむかのような
和良久の動きを、心を込めて行じてみて下さい。

体は喧騒な環境に置かれてても、稽古に入り、
型の稽古を進めていく内に、いつしか心鎮まり、
体が大自然のただ中にあるような気持ちになります。

私達は、農耕民族の血を引く者として、
空と大地、つまり月日と土に限りない感謝を
抱き生き続けていかなくてはなりません。

天と地があってこそ、われわれ人と言う者が
存在し得ることを事あるごとに思うことが、
すなわち神を讃えることになろうと存じます。

また、古来、その天と地の間を行き来するものが、
龍神と信じられてきました。

龍神が雲を起こし、風を呼び、雨を降らせ、
この大地を潤わせていると、先祖たちは信じ、
またその姿を見て手を合わせました。

龍神は、この地球がまだ泥海であった頃に登場され、
大地を固く固められ、人が住めるように
大活躍をされました。

そして、今度は天に上がり、
地に下がるものとなられ、神の使いとして、
今なお黙々として私達を守って下さっています。

龍神が、丸い玉を抱いて、天に上がる様子を
描いた絵をご覧になられた方も多いことでしょう。

万物すべては、右に螺旋して舞い上がり(吸う息)、
左に螺旋して舞い降りる(吐く息)と言われます。

これにより、宇宙の運行が円満具足に行われています。

螺旋は、言うまでも無く、前後、上下、左右に
満遍なく活動力を広げ、
それは丸い、丸い球体を造りだしています。

ですから、昔の方が、霊眼でその様子を見て
絵にされたのです。

虚空を、軽やかに駆ける龍のように、空を舞い飛び、
大地を強く揺るがし、海を波立たせる龍のように
地に這うのです。

泥田の中を、泥まみれになって生きてきた私達です。
その素朴さを、いつまでも忘れてはならないと思います。

武農一致と称し、武道と農業を一致させてこそ
人の向上があるとして、
昔の方々は剱をとって心身を練り鍛え、
鍬や鎌をとっては土に親しんできました。

私達、和良久の稽古人は、
「人の世」と言う「田畑」を、稽古を通して、
よい土壌にし、思いやり、慈しみといった、
よい収穫を得るように努めねばと存じます。

ツルギは、「釣り合わせる義」と言い伝えられています。

天と地を釣り合わせ、人と人を釣り合わせ、
そして、神と人とがまったく釣り合う世となるよう、
今日も木剱をとって稽古に励みたいと思います。

私達は、この人の世の耕作人でありたいと願っています。