豊徳殿での稽古は、
地方からの熱心な稽古人の泊り込みも多く、
その性質上、私は「合宿稽古」と考えています。
よって、稽古内容も、稽古時間も
他と違う点をご了解いただきたいと思います。
今後の様子を見て
一層稽古の充実を図っていきたいと思います。
この専門道場で、
将来の和良久練士、教士、範士候補生の
養成が出来ればと願っています。
その時、私の力を駆使して技の継承を行いたいと思います。
まずは、初伝、中伝、奥伝を卒業していただくことです。
予定通りいけば、入門1~3をお済の方は、
後2~3年でこの段階に来ていただけるでしょう。
また、将来、内弟子候補生や和良久専門塾などの希望者が
ここ豊徳殿に集い、言霊の理念や剱の技について
専門的に学ぶようになればいいなあと思っています。
「言霊」と「剱」の二つは、
是非後世に残していかなくてはならない日本の、
いえ、この世の宝と信じるからです。
そのための豊徳殿に次ぐ施設の設置や稽古環境を創るのも、
今後真剣に考えていかなくてはならないことであると
覚悟しています。
私の中で描いているのは、
柳生の里(柳生新陰流の発祥地)のような閑静な地で、
道場、宿泊施設などが揃い、心静かに技の練磨に専念できる場です。
彼の柳生新陰流も「無刀」の心境に至り、
活人剱の理想を貫こうとしました。
それは、柳生の修練場である天之石立神社で
日夜練りに練って得た、戦わずに武を治める
手力男の神の岩戸開きの技であったからです。
その技は将軍家康をも驚嘆させ、
徳川三百年の太平の礎とも言えるものでありました。
私たち、はさしずめ和良久の里と言ったところでしょうか。
ここで、稽古人たちが神人感合の境地に至るべく、
ひたすら七十五剱に専念出来たらと思います。
このようなことをなす目的はただ一つ、
言霊の幸はう国、つまり、もとの神人和楽の平和な国に
戻すために他なりません。そのための武道和良久なのですから。
ただ、そのような稽古環境および施設が、
誰かの手によって準備万端整うのを待ってから
「じゃ、用意が整ったようだから行くか」と言うような、
そんな調子の良い、甘い人たちを相手に
私は稽古するつもりはありません。
常に、誰彼の力をあてにしているような、
他力本願の方は、この先吹く厳しい風に
耐えられないことは眼に見えています。
一人で荒野(あらの)を切り開いていくような者をこそ
私は待ちたいと思っています。
それは、私たちが信じる神が、
そのような生涯をおくられたからに他なりません。
温室を作ってものを育てても、
その人は温室でしか生きていけません。
岩に松の如く、断崖絶壁など土壌の豊かでない場所や、
風雨厳しき中でも、しっかり根を張る松の木のような
「もののふ」の登場が待たれます。
・・・先日、鳳雛舘の前にある梅林に
珍しい梅の木を発見いたしました。
梅の木の枝の所に落ちた松の枝が、
なんと引っかかっているのではなく、
しっかりそこで根を張っているのです。
これを見たとき、私はとても嬉しい気持ちになりました。
ああ、このような時代になるのかな、
このような人たちがそろそろ
現れてくれるのかなと思いました。
梅は霊を表し、「ウ」の芽を意味し、
その五つの花びらは五代父音で、これは言霊であり、
言霊すなわち神であります。
梅はまさに大和の国の「教え」を表しています。
松は、足腰を落とし間を詰め、じっと忍耐する姿を表します。
堅固な体を表します。
また、マツは祭り事でもあり、
ご神木であり、神霊の降りる木であります。
こういうのを「ヒモロギ」と言うのですが、
梅と松は「神、地に降臨す」という秘密であります。
そこに竹が加われば、竹は武であり、
武は活動力、創造力でありますので、
梅松竹は「神、地に降りてご活動あそばす」
と言う意味となります。
武道場である鳳雛舘は竹です。
その鳳雛舘の前にある梅と松が一つとなり、
霊力体打ち揃って、
さあ、いよいよだ・・・と言う感がしてなりません。
いま、剱の組む稽古で「スー」「ウー」とやっていますが、
まさにあのような緊迫感漂う真剣勝負のようであります。
これは、開祖の言う「抜き身」の中にいる気持ちです。
抜き身の心とは、周囲を刀を抜いた者たちに囲まれた
真ん中に立つ者の心境のことであります。
ところで、前にも書きましたが、
この時期、武道場建てかえのため鳳雛舘は姿を消します。
実際にはあと二年ほど先になるようですが、
その猶予をいただいた期間内に
しっかりと稽古をつまねばと覚悟を新たにするものです。
鳳雛舘が無くなることは、
いよいよ鳳凰のが雛が成長して
大空に飛び立つ日が来たのだと思いました。
これはまことに目出度いことです。
ところで皆さんは鳳凰という鳥をご存知ですか?
鳳凰は、五色絢爛な色彩で、
それは、地球上の五大陸、五大人種を表します。
その鳴く声は、五音を発するとされますが、
これは五大父音「アオウエイ」であり、
その音律で天と地、陰と陽を結び、
宇宙のバランスを調整しているのであります。
鳳凰は、竹の実を食物とし、
桐の木にしか止まらないと言います。
桐は、切ればすぐに芽を出して生長する意で、
不死身を表します。
西洋では、鳳凰のことをフェニックスと言います。
また、 桐は典雅瑞祥(てんがずいしょう)の霊鳥の宿り木とされ、
平安時代ごろから天皇をはじめ高貴な方々の中で
様々な装飾用の材に利用されました。
中国で聖王を表す”鳳凰”は、
聖天子の出現を待ってこの世に現れるといわれる
瑞獣(瑞鳥) のひとつで、
『礼記』では麒麟・霊亀・応龍とともに
「四霊」と総称されています。
鳳雛舘も、その名のごとく、色んな遍歴を経て、
とうとう言霊をもって一霊四魂を練る武道場となりました。
よくぞ「鳳雛舘」と名づけられたと思います。
さすが三代教主様です。
それを成就させた四代様にも感服です。
梅と松が一つとなり、鳳雛舘が無くなる・・・。
私は、これらを鑑みて思うに
「天下布武」の兆しと承知しました。
天下布武とは、かの信長の政策の呼び名で、
武の力をもって天下を制覇すると解釈されがちですが、
それは違います。
この「武」は「七徳の武」のことを指します。
天下とは、日本全土という意味ではなく、
この世の中ということです。
七徳の武とは、暴力を抑え、戦争をやめ、
大国を保有し、雄々しく、民を安らかにし、
万民を和らがせ、物資を豊かにする、という
七つの徳を持つものである、とされます。
私たちの訴える「武」も同じ意味です。
ですから、われわれの言う天下布武とは
「天下に神様の理想郷を実現する推進力の養成」
と言っていいと思います。