「天国の武道とは」
大本三代教主、出口直日様はおっしゃいました。
「武道はみろくの世になっても必要なものであるからやめてはならない」
さて、みろくの世になってもなお必要な武道とは
一体どのような武道なのでしょう?
みろくの世は神人和楽の地上天国です。
その世に行われる稽古とは一体どんなものなのでしょう?
それは決して殺伐とした技をもった戦闘的な武道ではないはずです。
きっと、厳然たる秩序のもとでお互いの思いや動きを尊重し、
お互いどうしたら仲良くなれるか、どうしたら心地よくなれるか、
癒されるか、それを考えて、
そうなるように動くような稽古ではないでしょうか?
敵意を抱かず、誠意をもって。
相手のやりにくいように動くのではなく、相手の動きやすいように。
呼吸をはずさず、呼吸を合わせることを。
また、その指導者とは、神の御心をよく覚り、
周囲とうまく息を合わせ調和出来る力の持ち主のことではないかと
存じます。
万物との水火を合わせ和ませる道
・・・これこそが日本武道の使命だと思います。
「日本人の歴史ー人類発生より一貫して流れる道統、
そしてみろくの世実現に至る使命感の達成と自負」
師、奥山忠男は稽古によって高められ、
抑えきれぬ湧き上がる思いをこのように記しています。
ツルギの稽古は強烈に自己の内分に食い入って
タイムスリップを始めます。
そして、ついに自己の中心の核に突き当たります。
その時「神」を直覚します。
みろくの世へ至る己の使命をはっきり自覚し、
それを達成せしめる義務のあることを知ります。
「この理念と実践があれば可能だ」
一心に稽古にある者は、そういった自負をおごることなくもつに至るのです。
また、大本二代教主様は以下のようなお歌を詠まれています。
「気は強く広く大きく細やかに温かみのある人になりたき」
これは和良久的には、こんな意味と解釈しています。
・・・水火(気〜呼吸力)は強く(タテ)、広く(ヨコ)、大きく(円)、
細やか(前後)に、そしてそれが統合されて螺旋運動を生じ
熱と光を帯びて心身ともに円満具足となる。
「温かみのある人」とは、熱と光を周囲に発し、
周囲を幸せにする人のことです。
水火を合わす稽古により、異なるものが対称に同時存在すること
を認め出すと、相手のことが自分のことのように、
自分のことが相手のことのように感ぜられてきます。
すると「永遠に変わらないものだけに価値がある」ことを
理屈を越えて痛感します。
永遠と一瞬が同時に存在することを肌で知るのです。
動と静がバランス良く、
五分五分に配分された鍛錬こそ心身に調和をもたらします。
ただ止まって思っていたのではだめです。
ただせわしく動いていたのではだめです。
両方を同時に行うことです。
そうすれば必ず知るでしょう。
続く・・・