「しっかり手段方法を選んで」
人は向上を目指して止まない。
向上するために一所懸命な努力をする。
しかし、努力をするにしても何でもありはいけない。
まずは物事はしっかり手段を選んで進むべきである。
現代はその方法が誤っていたために出来た世界である。
だから、まことの神が「黙っておれぬ」と立ち上がられ
「元のやり方にかえす」と行動を始められたのである。
どんな道を歩もうと末で一つになるのだ・・・と言うが、
それはその歩む者が純粋でひたむきな心(信仰)を
保持できてこそ至れることなのである。
まだ我々人類は「どんな道でも末で一つになれる」という
次元には達してない。
けもの道を歩んだゆえに、
心が邪なものにねじけることは往々有ることである。
出来るだけ道はまっすぐできれいな道を選ばねばならない。
稽古にもちゃんとした方法があり法則がある。
その方法や法則が誤ったものならまっすぐには技が上達しない。
しないどころか心や体を損ねる。
これは木の生長と同じで、まっすぐ伸ばそうと思えば不要な枝を
払うなどして、ちゃんとした植物成長の法則を会得した者の
手によってしっかり手入れをなされなければならない。
この手入れをなすのが、習い事であれば師や先輩の務めである。
良き師、よき先輩につくと道を過つ事無くまっすぐ伸びることができる。
しかし方法も成ってないのに不要に努力を続けると、
人は何時の間にか気がつくとねじけてしまっている。
量よりも質を重んじるのがわが国の気風である。
数をこなせばよいものではない。
純粋無垢なる霊魂をここまで曇らせたのは吾の
大いなる罪過であることを覚り、謙虚によき師を選び、
よき環境を得てよき技を磨かねばならない。
続く・・・