「最強の神たち」(3)
それは「神文(しんもん)」という。
鎮魂の際に用いる祝詞文で、
出口王仁三郎聖師が作ったものである。
長文であるが、その一部を抜粋する。
『・・・天勝国勝奇魂千憑彦命
(あまかつくにかつくしみたまちよりひこのみこと)
と称へ奉る、
曾富戸(そほど)の神、またの御名は、
久延毘古(くへびこ)の神、
是の斎庭(ゆには)に仕へ奉れる、
正しき信人等(まめひとら)に、
御霊幸(みたまさちは)へまして、
各自各自(おのもおのも)の御魂に、
勝れたる神御魂(かむみたま)懸らせ玉ひて、
今日が日まで知らず知らずに犯せる
罪穢過(つみけがれあやま)ちを見直し、聞き直し、
怠りあるを許させ給はむことを、
国の大御祖(おおみおや)の大前に詔らせ玉へ・・・・』
この「久延毘古の神」というのが、
実は天香香背男のことなのである。
古事記に・・・
「久延毘古は、今に山田の曾富戸と言う者なり。
この神は足は行かねども、ことごとに天下の事を
知れる神なり」とある。
(歩けないけれども、天下のことなら
何でも知っている知恵深い神である)
まさに「天勝国勝奇魂」である。
大国主之命が出雲の美保の岬にいるとき、
流れついたる小さな神がいた。
その神に「汝の名は?」と聞いたが答えなかったので
困り果てていると、たにぐぐ(ガマガエル)が、
「それなら久延毘古に聞いてみるとよいでしょう」
と言うので、久延毘古の神を呼んだ。
呼ばれた久延毘古は即答した。
「それは少彦名の神です」
大国主之命は、誠かと疑い
神産巣日神(かむみむすびのかみ)に
確認したところ本当だった。
このように、久延毘古の神は、
国をおさめた大国主でさえ知らぬことを
知っていたのだ。
先の祝詞に出て来る久延毘古を
「天勝国勝奇魂」と讃えることからしても、
その聡明さは伺える。
(意味〜天のことに勝れ、地のことにも勝れた、
天地のことについて何も知らぬことはない
知恵の持ち主のこと)
子供の頃知らず知らずよく歌った歌で
「山田の中の一本足の案山子・・・」
という歌がある。
曾富戸とは、案山子のことである。
案山子は香香背を蔑称し、
見下した姿なのである。
いつの世も敗者の末路は哀れであるが、
この香香背男も例外ではない。
世評は辛い。
いつの世も、敗者は常に被差別の役割を請け負う。
久延毘古の「くへ」とは、崩れた、
垢にまみれた男(彦)と言う意味である。
私はこの天津甕星という美しい名と、
久延毘古という蔑視された二つの名をもつ
この神を思うと心が震え涙が出る。
風にさらされ、雨に浴び、鳥や獣につつかれ、
暑い日も寒い日も不服を言わず、誰にも感謝されず、
ただじっと田(地上世界)を守るため、
腕を広げて虚空を見据えて、
直立する案山子(かかし)の雄姿に
武の本義を見る思いがする。
姿醜く、名は卑しい、しかし、国を護らむとして
一人立ち尽くすその内に秘める実力は
まさに地上最強の神であったことを覚えていてほしい。
素盞鳴之神、手力男之神、そして天香香背男神。
陰で体を張って、命をかけて国を護ってきた
神々がいた。
あの型「布留」は、そのような武神たちの
息吹が込められている。
型を演ずるに・・・
なぜ星状なのか。
なぜ案山子のようなポーズなのか。
また、岩戸を開くような動き。
闇の道を足元を確かめながら歩く歩き方。
そして、手を剱に変えて八力を打つ。
・・・この型の場合、動きが先行して生まれた。
そして、今その意味が一つずつ解けてきた。
続く・・・