「九鬼武産龍王」 その4
和良久が生まれた経緯について
確実に言えますことは、まず、
芦原英幸先生との出会いにより
直線から曲線の実際的活用法と
効果を体得できたこと、
次に、植芝盛平先生の合気道、
井上方軒先生の親英体道、
また奥山忠男先生の劒など、
大本の先輩の武人たちの存在が
深く影響を与えてくださったことです。
そして、無骨な武の技に柔和な光を
当ててくださった四代様の存在が、
現代あるような洗練された和良久の
体系を築く礎となりました。
それらは大本という土壌なしには
成し得ませんでした。
その土壌こそ「うしとらのこんじん」様の
磁場であり、だからこそ、このような
摩訶不思議であり、しかもよく理にかなった
武道が誕生したのだと言えます。
それら、どこの既成武道の枠に当てはまらない
理念と技は、これまったく人為的所業では
ないことは少し稽古していただいた方なら
誰しも感じることでしょう。
大いなる他力が加わってこそ
偉業が成し遂げられるわけですが、
その他力を引き寄せるのは
精一杯の自力に他なりません。
その他力を引き出すために
自力を高めるということを、
今の日本人は忘れています。
体を鍛えることを外国のスポーツに求め、
気持ちも体も外国人になりきることで
世界に対抗できるように思っています。
柔道も、剣道も、空手も皆競技システムとなり、
「稽古」ではなく、練習、いえ、
トレーニングをするようになってしまいました。
もう、それは武道ではなくスポーツです。
ちなみに稽古とは、古を思う、考えるという
ことであり、それは、先人たちの築いてきた
技と心を忠実に再現することです。
また、稽古は古き日本の伝統文化を
守ることであり、そこに外国のものを
取り込む隙は本来ないはずです。
しかし、隙のないはずのその文化に
外国の風が吹き込んできたのです。
そして、風邪をひいてしまったのです。
スポーツは、心と体を知らず知らずに
損ねるように出来ています。
日本でスポーツが生まれていないことが
その証拠です。
スポーツは戦争のための術です。
そのルーツは、まさに弱肉強食の
殺し合いから発しています。
そこに健全な精神など宿るはずもなく、
競技場にはわれよしと共食いの惨状が、
娯楽性とショーアップの幕に隠れて、
公然と繰り広げられています。
いまアテネでいまオリンピックが
開催されていますが、私には
世界的戦いのルーツが偲ばれてなりません。
スポーツ選手のような爽やかな人・・・と
言いますが、もしスポーツ選手などが
政治などに携わったら
世の中大変なことになってしまいます。
スポーツで優秀な成績を上げた者を
ヒーロー扱いする風潮もどうかと思います。
勝てば、お金も名誉も権力も手に入る・・・
選手本人も「自分は特別なんだ、偉いんだ」
そう勘違いするほど
周囲が騒ぎ立てるのもどうかと思います。
話がとんでもない方向へ行ってしまいましたが、
そういった外国の体主霊従的な運動形態と、
われよしの思想に厳然と背を向け、
「時代錯誤だ、へそ曲がりだ」と言われても、
明日の日本を憂い、心から日本の国を愛した
一握りの武道家たちがいたことを
私たちは忘れてはなりません。
物腰静かにして、鉄人の如くあるも、
それは人知れず過酷な鍛錬を積みし結果であり、
そして背筋を伸ばし、意義を正して
神の子に仕えた影の存在たち。
こういった一握りの武人たちの存在によって、
いまの日本が築かれたことを
もう一度言いますが、忘れてはなりません。
柳生宗矩は徳川家に仕え、
徳川を影から支えてきました。
この如く、武の道は影であります。
古来、武術流派を陰流と称するも、影流と称するも、
この意から出たものでしょう。
日本武道は、陽の当たるところに出るような
技は持ち合わせておりません。
その代わりに、武道の立ち居、振る舞い、
思想などが体現されたものがあります。
能楽、茶道などがそれです。
これら能楽、茶道は武道の表であり、
武道は裏であり根です。
武道が表に出たら、その時は争いの来る時です。
そうなってはなりません。
常に影に控えているべきものです。
私たちはその意思を継いで、影になり、
たとえ一握りでも日本を支えるような力を
つけたいと思います。
さて、武道の偉大な先人たちの
目論みは共通しています。
「水火の力を活用して、神の実在を感得し、
もってみろくの世を招来させる神柱となるべき
尊い方の手足となって仕えるための訓練」
ということにあったのではないかと思います。
大事なポイントは、武道家は決して
表に出ることなく、あくまで影になって
支える存在であり、しかし次元を超越した
絶対的に力強い存在であることなのです。
影であるけれども、その存在感は山の如く大きく、
絶対世に無くてはならない存在であります。
これこそ私たちの継承すべき姿なのではないか、
という思いが近年とても強くいたします。
物欲にとらわれ、とりあえず目先もの
(権力、財力、名声)を欲しがる者。
内にじっとしておられず、陽の当たる場所へ出て
目立ちたがるような方は
この道は向いていないと思います。
例えば、家を建てるときの基礎工事のように、
見えない部分こそが
しっかりしていることが大事です。
人の踏み石となり、土の中に隠れた根となって、
表に花を咲かせる勢いを与える役。
そんな自分を誇りとする方が
神代より伝承された日本武道の道に
向いていると思うのです。
誰も賞賛はせず、拍手も喝采もない
世界ではありますが、人のもつ本来の力と
尊厳を取り戻す稽古を伝承していく。
日本武道・・・
これほど人類にとって必要欠くべからざる
大事な鍛錬法は他に無いと
私は心から誇りに思っています。
続く・・・