「受身」
先に入り身の説明をさせていただきましたが、
お分かりいただけましたか?
いえ、やはり実地にやらないと分かりませんね。
この誌上講座では、絵も写真も載せれないので、
文章による説明しか出来ないのを
いつも歯がゆく思っています。
しかし、稽古に先立って、まずこうした理念を
知ることも無駄ではないように思いますので、
頑張って発信していきたいと思います。
さて、まず勢いよく入身となって、相手の懐に
入っていきますと、相手の前進してくる
猛烈な水火と自分の水火が正面でぶつかります。
(水火〜イキと読む)
そうしましたら、物凄い力が双方の間に発生します。
その衝撃は、正面衝突ならば、即お互いが吹き飛ぶ
勢いとなるでしょう。
その正面衝突を緩和させ、また、吸収させ、
打ち返しのエネルギーに変換させるのが
「劒の自転旋回」と「体の公転旋回」なのです。
ぶつかった衝撃は、そのまま直撃してしまうと
どちらかが破壊されてしまいますが、
うまくその衝撃をエネルギーに変える
術を心得ていますと、
これほどありがたい贈り物はありません。
この衝撃は、例えばモーターを動かす
電気のようなものであり、また
風車を動かす風のようなものと思ってください。
相手が、いくらこちらを破壊しようと打ってきても、
こちらが、その力を破壊と考えずに
創造のための力と考え、
実際にそのように仕向けていく技術が
武道の妙味なのです。
思い出して下さい。
力には、二つありましたね。
そう、遠心力と求心力です。
相手の力を取り込む力は、もちろん求心力です。
求心力で、相手の打力の勢いをうまく取り込み、
かつ、自分の起こす旋回によって
一層勢いのある力を生み出し、
それを打ち返しのための力に変えるのです。
この求心力が受身です。
受身とは決して逃げことではありません。
出るために引く、つまり前に行く為に
一端後ろに下がるということなのです。
これは竹のしなりにも似た、
しなやかさが要求されます。
竹は、そのしなやかな復元力を買われて
弓矢などに用いられたりします。
あのように、引いたら引きっぱなしではなく、
前に勢いよく出て行く
「力の溜め」をつくるのが目的で受身があるのです。
相手の打ちは他力であり遠心力です。
その他力を、自分の劒に当てさせて
打力に変換させるのです。
この自分の劒に当てさせ、旋回させるという行為が
自力であり、求心力なのです。
他力と自力による交差(十字形)こそ、
陰陽の力の発生を表します。
これを「クム(組む)」と言います。
もう一度整理します。
1. 相手が打ってくるのを、劒を旋回させつつ
「入身」に入り、その打ちを受けます。
2. 受けた瞬間に劒と体を旋回させて
「回り込み」衝撃を緩和させます。
3. 回り込んだと同時に引きます。
これが「受身」です。
4. 受身で引きながら劒を旋回させ、
そして勢いよく「打ち」を放ちます。
受身と言うと、柔道の受身を
思い起こされるかもしれませんが、
あれは本来の受身とは申されません。
螺旋運動のうちで、出て行く力、つまり
遠心力を入身と言い、戻っていく力、
つまり遠心力を受身と言います。
この入身、受身は本来同一存在なのです。
呼吸で言えば、受身は引く動きなので、吸う息です。
入った瞬間には受け、受けた瞬間には入っている・・・
という風に螺旋というものを理解しないことには
理解不可能ではないかと存じます。
武道のすべての極意と言われるものは、
この劒の螺旋運動によって解明され、即実践出来ます。
今まで、おおよそ過酷な鍛錬によってのみ、
しかもほんの僅かな選ばれた者しか得られなかった力が、
和良久の稽古によって誰でもが実現可能となりました。
まさに恐るべき螺旋の力というべきです。
螺旋により、宇宙の運行を体現していく中で、
自分がその中に溶け込んでいく感覚が
やがて皆様にも訪れることでしょう。
その時あなたはその体験に対して、
心の底からこう叫ぶでしょう。
「われ即宇宙なり」と。
これは理想でも、夢でも、また人ごとでもなく、
現実にあなた自身に訪れる感覚なのです。
武道というのは、こうして凡人をして
超感覚の世界に没入させうるのに、
最も早く確実な方法として
現代まで残されている超人養成法なのです。
ただ今まで廃れてきた道でした。
和良久がそれを復活させました。
天恩郷という土壌があったおかげです。
出口聖師の作成せし祝詞にあります。
『言霊の助けによりて大神の御心を覚り
鎮魂帰神の神術によりて村肝の心を練り鍛えしめ給いて』
和良久は言霊の理念を実践に移し、
それを鎮魂帰神の術として復活させたものです。
続く・・・