ますみの鏡の火水(ひみつ) (2)
具体的には、こうである。
まず、こういった太古から残された
秘儀的なものは現代の既成概念で考えないこと。
そして、もうひとつ
平面的にとらえないことである。
太古の者たちは文字を持たなかった。
今では考えられないようなほど豊かな感性をもって
ものごとを捉えていたのである。
学問などはない。
学問がないだけに、森羅万象の呼吸を見つめる
感性が尋常ではないのである。
もしかしたら、今より便利で科学的であったろう。
例えば空中に言葉を発せば、
それが遠方の相手に伝わったり、また風雨雷神も、
ある言葉を発して願えば起こったであろう。
大気中の水火と、人の水火が合わさった時、
スイッチが入った。
言霊は、単に言語というだけのものではなく、
宇宙の運行が発する音響そのものである。
それを明確に「75声」として捉えることが出来た
太古の人たちの豊かな感性にはあらためて驚嘆する。
つまり、言霊は活動力の源泉である以上、それは
単なる言葉と言う意思伝達のための手段ではなく、
「力」そのものを表したものであり、
言霊こそ力のルーツであり、ひいては、
宇宙創造の歴史としてとらえることが
出来るのではないか。
言霊は活動力である以上、体を使ってこそ、
その答えは見出せるはずである。
我々の世界は前後、上下、左右に
立体的に組まれた世界である。
それは言霊が、前後、上下、左右の
立体形であるからである。
聖書にある「はじめに言葉あり」の一節は、
まず言霊があって、その言霊の御水火によって
万物が生まれたことを言う。
前後、上下、左右の立体的水火をもつ言霊から、
同じように立体的なものが生まれるのは当然である。
このように、75声の一音一音が平面の世界ではなく、
立体的なものとして、360度に満遍なく
行き渡る響きをもつ。
それは螺旋でつながっている。
螺旋である以上、一つの音が、すべての音に共通し、
またすべての音は一つの音に帰す。
すべてには共通の原理が働いていて、
その原理に基づいた法則に従いつつ、
一つ一つは独自の変化をもって動いている。
続く・・・