審神(さにわ)〜正邪の見分け (4)
相手に懸かった神霊の正邪を
判断をすることを審神という。
低級な霊がかりなら、挙動不審なので
誰が見てもこれはおかしいと判断できる。
しかし、先に言ったように、
正神と力ある邪神は紙一重の力をもつので、
その正邪の判断はちょっと困難となる。
まず以下のような問いをなげかけて、
その反応を見る。
これだけで正体を表す場合もある。
<言葉>
1、古事記や神典などに登場する神々について問う
2、言霊の意義について問う
3、弥勒の世について問う
4、悪神を調伏させる内容について問う
以上の、事柄を問うた時、相手からの返答が
的確であるかどうかを判断できるよう
国学、言霊に有る程度精通しておく
必要があるのは言うまでもない。
次に、幽斎である。
<身体>
1、上田、中田、下田の真っ直ぐな上下の線(正中線)
をそろえ、背筋を伸ばし、顎を引き意義を正す。
2、次に、この自分の正中線を相手の正中線に合わし、
相手を威嚇することなくごく自然に相手の眼を直視する。
3、呼吸を整え「スウアオエイ」を無声で唱える。
スは神霊、ウは直霊、アは幸魂、オは和魂、
エは荒魂、イは奇魂を呼応し鏡に照らし返す。
4、「天之御中主大神守り給え幸はえたまえ」
を心に念ずる
<技>
1、鎮魂帰神の印など、両手を組めればいいが、
差しさわりある場合がほとんどなので、
片手別々に印をつくる。
(人差し指を伸ばし、中指と親指で輪をつくり、
他の三指は折り曲げる)
2、机の下などから、覚られぬよう相手に向けて、
人差し指で小さく螺旋を放射する。
以上の他、様々な方法があるが、
結局は神の力によらねばならない。
聖書にある。
「どうか誠実と潔白が私を守ってくれるように」
また、妖術使いは、特定の相手に術を施す。
それが、相手を病気にさせたり、怪我をさせたり、
はなはだしきものは、殺人を目的に施術する。
災難、厄難が狙った相手に及ぶように
術をかけるのである。
人を呪うこにより、自分の命を縮めているとも知らないで、
まことに哀れなものである。
術をかけられるなら、逆にその術を撥ね返す術もある。
黒があれば白があるのである。
それには根本が、しっかりした信仰をもつことである。
その信仰に基づいた技をもつことである。
ふらふらとあらゆる様々な宗教宗派をさ迷うような
腰の据わっていないようなことではいけない。
ことに現代のような暗闇の世の中においては、
神と共にある生活を大切にし、
かたときも神に離れることがないようしなければならない。
暗黒の部分をもつと、暗黒の力が入りやすい。
疑心暗鬼と言い、人を妬み、恨み、嫉妬することによって
心に闇が兆す。
そして、その闇が生じることにより、
魔物の入り口となって、
魔は吸い込まれるように侵入してくる。
何を言っても自分のことを言われてるように思い、
「皆は私のことをわかってくれない」と
常に周囲に対して猜疑心や怒りをぶつける人は要注意である。
そんな時に、「大変ですね、お苦しいでしょう」と、
そっと笑顔で優しい言葉をかけてくる者がいる。
さあ、その者の本性は?
水火は相呼応する。
怒りの水火に溢れている時は、同じ質の水火を持つ者が現れ、
優しさに溢れている時は、優しい水火の者が現れる。
「疑心」強き時に現われるのは「暗鬼」であることを
忘れてはならない。
人は、人との調和を思い、お互いにとって最良の言葉を選んで、
しっかり間をおいて人生を歩んでいかねばならない。
間がとれていれば楽しい。
しかし間が悪ければ、間は魔となって襲い掛かる。
間は、けっして物質だけの距離ではない。
心の間がある。
間の取り方の上手な人は、たとえいつも近くにいても
暑苦しく感じない。間の詰まりを感じさせないのである。
しかし、間の取り方の悪い人は、たとえ遠くにいて、
あまりその人と話をしなくても暑苦しく感じ、
聞こえない心の言葉が始終耳に入って、耳が痛い。
続く・・・