特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座398


「礼儀は技上達に欠かせぬ基本」


礼儀は人としての基本である。
また、礼儀作法習得は武道の技の上達の秘訣でもある。
これは以前の誌上講座でも述べたことである。

和良久で言う「水火を合わせる」こと。
これが礼儀の基本精神でもある。

和良久は、いかに相手を倒すのかという技を練るのではなく、
いかに相手と水火、つまり気を、呼吸を合わせるかを学ぶものである。

相手があらゆる角度から打ってくる打ちを、
すべて螺旋に取り込んでしまうような潮流をつくること。

何が起ころうと丸く治める力。
角張った動き、思いを旋回力によって角を取る力。

冷たい思いを温かい思いに変換させる力。
この力を創りだす稽古である。

災い転じて福となす・・・これが「つばめ反し」であり、
剱の技の本義である。

螺旋の発する熱と光は闇を照破し、魔を屠る。
悪魔調伏こそツルギを扱う者の使命である。

また、タイミングで言えばこうである。

例えば、知人が向こうから歩いて来た、
そしてこちらと徐々に距離が縮まってくる。

相手とすれ違って通り過ぎてしまわないうちに、
頭を下げ、挨拶の言葉をかけるため、
お互いがベストな「時」を待つ。

その「一瞬の時」を待ち、お互いが呼吸を見計らっている。

やがて、声が小さくても相手に届く間に入る。
「こんにちは」・・・と発して頭を下げる。
短い言葉に思いを込めて。

そして別れる。

このように技を出すにも時がある。

この絶妙の「タイミングと間」こそ、
武において技を繰り出す瞬間なのである。

それは速すぎてはならず、遅すぎてもならず。

技を過たず出せるようになるためには、実社会の中において、
円滑なる人間関係の確保を抜きにしてはなし得ない。

技が優れているということは、日本伝統芸能の共通の要素である
「調子、拍子、間」の三つが揃っていると言うことでもある。

自分の立場と相手の立場を考慮し、
最も最良の時を選んで言葉を交わす。
武道の極意と同様の心構えである。

礼儀は熱と光を産み出す螺旋運動の賜物である。
螺旋の技は温かく、柔らかく、しかし力強く堅固である。

螺旋運動が出来ている者の表情には優しさが溢れる。
眉間にシワがなく、笑みさえ浮かぶほど
ゆったりと余裕があって温和である。

これは呼吸が円滑に行われている証である。

それに比して、直線運動を行う者の動きは力んでいて、
固くぎこちない。そして表情がこわばっていて、
眉間にシワを寄せて冷たい。

呼吸が止まっているからである。

行動に時所位あり、言葉に時所位あり。
その「時所位」は中心の軸が知っている。

円周あっての中心であることを忘れてはならない。
円周とは、皆の存在であり、皆あっての自分である。

皆への心遣いと優しさ思いやりをもって生きていくこと。
そうすれば時所位は自ずと知ることとなる。

円周を知るということは、中心軸を発見することである。

それが技となって稽古の中で現れる。

上は下を労わり、下は上を敬って真っ直ぐ立ち。
右は左の、左は右の存在によってバランスを保ち。
前は後ろの、後ろは前のおかげで光と影を演出できる。

人は神よりあらゆる必要なものを賜り、
神は人をもって業を完成に導く。

神を敬う・・・これ礼儀の至極なり。

技は礼節そのものであり、礼節は即宇宙の秩序である。

宇宙の秩序を保つものは自転公転からなる螺旋運動であり、
すなわち言霊の水火の妙用である。


続く・・・