特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座459


「陰の働き」


武道の働きは、水と火であれば、水。
霊と体であれば、体。
陰と陽であれば陰である。

ことさらに陽に当たることを望まず、
人を陽に当てさせる働きをなすを楽しみとする。

陽は陰あっての陽である。
まことの陽はそれを知っている。

どちらが、上で、どちらが下だということ、
また、どちらが偉い偉くないという
問題ではなく、「働き」である。

どちらも五分五分の割合なのである。

ただ、主従はある。
陽が主で、陰は従であるという配列はある。

これは霊主体従の法則からくることであって、
やはり割合は五分五分であることには変わりない。

例えば天照大御神が陽で、
素盞鳴大神が陰のように。

陽である神の権威を示し、その大いなる力を
顕現させる働きを神武と言い、これが陰である。

素盞鳴大神は陰となって
天照大御神を一層輝かせる働きに徹した。

素盞鳴大神が倒したヤマタノオロチの
尾から出てきた神劒「草薙之劒」を我が物とせず、
天照大御神に献上したのも、
自らが陽を立てる、
陰としての役割に徹したゆえである。

これは、よほどの自信と謙虚さがないと
出来ることではない。

われらが神、うしとらの金神は、
陰の守護をもってこの世を支えてこられた。
これを見てもいかに陰の御用が
大切であるかが察せよう。

陰だから出来ることがある。
陰でなければ出来ないことがある。
ここをよく考慮すべきである。

柳生宗矩は、おのが流儀を「柳生新陰流」と称し、
陰に回って将軍徳川を支えた。

また、柳生は世に落ちぶれた者達を
陽の当たるところに上げた。

それは陰に生きる者、甲賀、伊賀の忍たちに
将軍お抱えという権威を与え、新たな道を開かせた。

土木に携わる者たち、建築に携わる者たちにも
陽の当たるところへいざなった。

神武とは、神の権威をもった活動力であり、
螺旋波動をもって
金色に輝くの神の光を表に現す力を言う。

宗矩は「活人劒」を提唱し、無刀取りの神技をもって
殺人刀を廃した。その精神は、確実に徳川に伝わり
泰平の世に向けての政策につながった。

それまで殺人の術でしかなかった武の技が、
見事に「道」として昇華し、国を動かした。

神武は、言霊の力を駆使し、霊力体つまり一霊四魂、
三元、八力を体現する武道である。

表に立つ事なく陰で汗して自らを鍛え、
自らを向上させ、もって自らは陰に回り、
世に立たすべき人を立たせ、
泰平な世を築く縁の下の力持ちである。

表舞台に立ちたいような者は
この道には向いていない。
もし、武が表に立ったなら
争いの火種となるは明白である。

陰であるから、輝くのである。
水(陰)は、火(陽)によって流れる。

ゆえに、そういった陰のことを理解した
真の力ある武道家を得て仕えさせる組織、
また長たる者は、幸運である。

そういった者を側にはべらせるだけで、
自分をはじめ、組織、国は安泰である。

璽、鏡、劒の三種の神器で、
最も重要な活動力の基とされる
「劒」を得たことになるのである。

それは「権威」であり、魔除けであり、
祓いの技の実践である。
悪神が恐れ、よって災いが遠のく。

しかし、陰をさけ陽に向く
武道家を得た長たる者は不運である。
最初はいいであろうが、頂点に達せんとする頃、
自らを崩壊させる刃が長の喉を突き抜くであろう。

よって長たる者は、劒は、神の権威であり、
想像の力そのものであることを知らねば
大いに「損をする」ことになる。

昔、国を治める者達は、
三種の神器の活用を心得ていた。

それを忘れた時、またその活用を誤った時、
時代はバランスを失いやがて崩壊する。

日本は、字の如く陽の元の国である。
この陽を支える役がいなくなったとき
日本がなくなる。

ひのもとの 尊き国に生まれ来て
ひの意味覚らぬ人の多かり


続く・・・・