「稽古とは」
和良久の稽古は難しいと言うことを聞きます。
確かに見たこともない動き、
聞いたこともないような理念には、
眼を白黒してしまうのは致し方ないかもしれません。
しかし、やがて和良久の技は世界に広がり、
この螺旋の技があちこちで見られるようになる日が
必ず来ます。
この技が、周囲で見られる頃には連鎖反応で、
今は難解と思われた螺旋の技が、
容易に出来るようになっています。
その技がどこそこで見られる頃には、
きっと世の中もかなり良い状態に戻っているはずです。
螺旋の技が理解されないほど、
今の世はとげとげしくなってしまった・・・
そう言ってよいでしょう。
いまの世の大気は鋭角の状態です。
例えば、ガラスに傷をつけたような痛々しい空間が
空気中に網の目のように広がっています。
これでは、病や災害や犯罪、
また戦争が起きるのも、無理は無いと思います。
『今の世は世界に角が立ちて居るぞよ。
世を替えて、世界中一つに致して丸く致すぞよ』
(明治29旧8.23 大本神諭)
うしとらの金神の預言にもこのように諭されています。
角立つものを丸くしていく方法は、言葉、行い、思いの
三つをもって、それぞれ螺旋を描くことです。
その直接的な方法が75劒です。
75劒は、螺旋波動を発して鋭角波動を丸く磨き上げます。
素盞鳴之大神が、劒をもってヤマタノオロチを退治した
と言うのは、言霊の水火(劒)をもって螺旋波動を起こし、
鋭角波動を消滅させたという意味であります。
また、環境汚染が進み、大気を汚し、温暖化により
異常気象が起きていると言われますが、
大気汚染・・・それよりもっと深刻なのが、
人心荒廃によって発生せし邪気の方なのです。
乱暴な言葉に、戦闘的行為、そして邪な思い・・・
それらが、空気中に鋭角波動を発生させ、
この地球を覆っているのを知るべきです。
化学物質によって汚染されている
何倍もの邪気が大気を覆っています。
空は、人の胸の内を映し、大地は、
人の腹の中の思いを映します。
その思念が風になり、あるいは地震になります。
汚れれば洗う・・・自浄作用が起きて当然です。
天候が異常だ・・・と言うのは、
そのまま人の異常さを現しているのです。
これら人心荒廃の方が
よほど天候を乱す原因をつくっています。
異常気象は、まさに異常気性から生まれます。
さて話を本題に戻します。
先に申し上げた「和良久の稽古は難しい」と言う
原因の一つに稽古方法の多さも
上げられるのではないかと存知ます。
和良久の稽古の本筋は只「75劒」を行う・・・
にあります。
他の稽古は、補足稽古のようなものです。
ツルギには『劒以外に他力を求めてはならない』
と言う戒律があります。
ですから、劒をもっての稽古が本道となります。
手で行う「八力の型」の稽古も補足です。
より一層劒をもった時の腰の入れ方、
手の動きをこれにより学びます。
「フトマニノミタマ」また一名「カゴタマ」と言いますが、
これは宇宙創造の音声「スウアオエイ〜75声」を
図形化したものですが、これに沿って行うのです。
スに始まって75声に拡大され、
75声はまたスに帰っていきます。
一つはすべてのためにあり、
すべては一つのためにあるのです。
一神即多神、多神即一神の成り立ちを理解することが
目的であるといってもいいと思います。
また稽古とは、いにしえのことを思い、
考えるということであり、
これは元の昔に帰りなさいということであります。
原点帰一が稽古です。
力の発生を宇宙創造にまで遡り、
それを行ずることが稽古です。
日本は練習ではなく、稽古を行う国です。
うしとらの金神の「元の昔に返す」という
お言葉がもありますが、
これこそ稽古をするということでしょう。
和良久・・・
この技が、人の心を和め、魂を鎮め、
災いを防ぐ技となることを私は信じて疑いません。
言霊の理念に基づき、実践を行うことが、
一体人類にどれだけの深い感動を呼ぶことに
なるのか計り知れません。
続く・・・