「手力男神」(1)
1997年12月の暮れ。
「あなたは手力男の神さんや」
突然、故大本四代教主様は、
私に向かって大きな声でおっしゃった。
その時は、その神様のような働きをしなさい・・・
と叱咤されたものと受け取り、
身の引き締まるような思いをしただけであった。
そして、その時だけのことかと思ったら、
言われた日を境に、四代様と二人きりになると
「手力男さん」と呼ばれ続けた。
私が朝陽館(大本本部にある教主公館)に出仕すると
「やあ、手力男さん来てくれたんか」
・・・と、こんな調子で話しかけてくださった。
これは、まるで教主様と私だけの秘密のようであった。
私は四代様特有のお茶目な冗談だと思っていた。
ご病気で車椅子に身をゆだねられた頃は、
車椅子のご移動は、教主様のご指名で
私がさせていただくこととなった。
「他の人はあかん、手力男さんやないとな・・・」
ご病気が悪化して苦しそうな中で私に言った。
単に馬鹿力をもつせいだろうと思っていた。
私は分からなかった。
ひとつもいい気にはなれなかった。
手力男・・・って、何のことなのか。
あの神話に登場する
力持ちの神さんであることぐらいは知っていた。
それで、私は四代様に何をさせていただけるのか。
こんな無骨な私に何が出来るのか不安だった。
そして、その後間もなく
「和良久」という武道名を頂戴する。
まだまだ、勝負を前提とした
勝つための技にこだわっていた時代であり、
奥山先生の稽古を受けつつ、
正道会館の空手の師範も兼ねていた。
日本武道の何たるかを理解せず、
まだ暗中模索のあやふやな時期であった。
確かに、自分なりに技を整理しつつ、
いつかこの技をもって世に出ようとは考えていた。
正直に言うと、私にはある目論見があった。
この技をもって神様の役に立つことを・・・
などではなく、ここで培った爆発的な力を使って
格闘技界に殴りこみをかけ、自分に屈服させ、
そして後、こちらのペースにはまった所に
日本魂を叩き込んでやる。
・・・そう考えていた。
まず、人々を力で抑えること、
そしておとなしくなったところで優しく諭す・・・
そうすれば人は言うことを聞くと思い込んでいた。
四代様は、そんな私の心を見透かされ、
その無謀な力を神様のために捧げるように
仕向けてくださったのだとある日気づいた。
気づいた時には遅かった。
病気は思ったより早く進行し、再入院となった。
私の決意は決まった。時間はない。
武道をもってこの方の御心を世に伝えようと。
そう思い、そう行動すると、不思議に技はついてきた。
同時に古代の理念も理解できてきた。
人は「決意」することによって変わるものだ。
これから先、何があろうと驚かない、動じない、
変わらない、そして遣り通すと誓った。
和良久をNPOとして船出させるために
必要な趣旨文を案出した。
ちなみにNPO設立については四代様も喜んでくださった。
『人を傷つけず、人に傷つけられず、人もよく、吾もよし』
と言う言葉がふっと浮かび書き留めた。
これにより、以下の趣旨文が
風のように速やかに決定した。
そして特定非営利活動法人(略NPO)武道和良久は
公式に京都府の認可を受けることが出来た。
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<特定非営利活動法人 武道和良久設立趣旨>
古事記には、神様は矛(ホコ)をもって
この世界を創造されたと記述されています。
つまり武の発祥は破壊からではなく、
「国造り」「人造り」といった
創造の技から生まれたものなのです。
人と人とを戦わせて勝敗を決し、
それによって心身の向上を図るといった優勝劣敗、
弱肉強食的なやり方は、和を尊重する大和の道には
そぐわないものではないかと存じます。
これは何も武道だけに限らず、
現代社会そのものの風潮でもありましょう。
いつまでも「戦って勝つ」ということを
鍛練の目的としている以上、
和合の世界の到来など到底望むべくもありません。
それはいまだに中世の頃の
殺伐とした武士道精神を起点とし、
戦国時代の頃の殺人の術や精神論を
現代に活かそうとしているところに
原因のひとつがあるのではないかと思います。
文明の極みに達せようかと思われる今日においても、
まだ国と国の取り合いが行われ、
利権を求めて人と人が争い合う悲劇が繰り返されています。
そして、それとともに、多くの立場の弱い人たち、
力の無い人たちが飢餓に苦しみ、病に倒れ、
争いの犠牲になっている現実はまさに生き地獄です。
必要以上に心を勇み立たせて、
いかにして相手を倒すということではなく、
心穏やかにして、いかにして相手を活かすのかを
学ぶことこそが、いま最も世界に
求められていることなのではないでしょうか?
私たちは、これ以上戦ってはならないと思います。
私たちは、これ以上人を傷つけてはならないと思います。
いまこそ我よしの心を捨て、心の時計を、
戦のなかった時代にまでタイムスリップし、
初春の日差しの差し込むような、
そんな心地よさの漂う「神代」にまで遡り、
さらに宇宙創造の根源なる力を、
自分の身体を通して探求しましょう。
私たちは稽古を通して全世界の破壊的武力を撤廃させ、
愛と善に満ちた人類和合の世界実現に向けて
邁進していく所存です。
続く・・・