特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座513


「大本言霊学」(3)


わが国の教えは単純明解である。

火と水。

この二つの対極と融合をもって、
様々な真理の解説がなさてれているのが言霊学。

人も宇宙も、すべてはこの火と水の
二つの元素で創られ活動を続けている。

大宇宙の真相を知りたくば、
小宇宙である人の肉体を追求することである。

宇宙の水火も、人の水火も同じである。

『天地の水火と人間の水火と同一なることを知りて、
国家を治めるの大本は己が呼吸の息にあることを知る。

広く天地の真理を知らむと欲せば、
近くは己が水火を知るにあり』

・・・の如くである。

人間探求の旅は、宇宙探求の旅でもある。

和良久武道は、肉体の極限までの力と魂を練るゆえ、
自ずと宇宙の力やリズムと共鳴する。

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以下、出口王仁三郎聖師著、大本言霊学より


皇国の学び(大本教)は、万物一つに止まることを原とす。

ゆえに天地初発に一つの凝りを為し、
その凝りより火水の二つに別れて、火を父と呼び、
水を母と言う。

その父の火霊(かたま)と、母の水霊(みたま)と
與(く)みて、また一つの凝りを為す。

その凝りの重く濁りたるは「形」となり、
軽く澄みたるものは「息」となり、
その息、母体を出て高く現れたるを「音」と言う。

その音の五十連なるを言霊と言う。
(五十連の音は霊ありて活用を言う)

その言には、幸あり、体あり、水火あり、
これを與みて詞をなす。

しかはあれども、詞は音のみにして眼に見ること難く、
これを眼にするものを形仮名と言う。

その形仮名をもって五十連の十行を記し、
火水の言々をくみ開き、体、用、軽、重、清、
濁、などの法則を以って詞の本を明らかにし、

天地の水火と人間の水火と同一なることを知りて、
国家を治めるの大本は己が呼吸の息にあることを知る。

広く天地の真理を知らむと欲せば、
近くは己が水火を知るにあり。

これぞ神国の教えにして、
既に古事記の神代の巻と唱うるも
火水与(イキクム〜カミヨ)の巻と言う義にして、
天地の水火をくみて万物を生かし、
人間の水火をくみて言語との伝えなり。


天地の間に眼に見えざる火水あり。

これを火水とも言う、神と唱うるは体にして、
水火と唱うるは用なり。

ゆえに陰陽と陰陽とを與で、万物を産むなり。

人間の胎内に水火あり。

これを霊水火(タマシイ)と言い、気とも言う。
魂と唱うるは体にして、息と唱うるは用なり。

ゆえに息と息とを與でものを言い、
気と気と與で人を産むなり。

天地は水火の凝りあり。
ゆえに人の呼吸は波の列なるに同じ。

波の寄る時は、音を為して、引く時は音無し。
人も出る息は音を為して、引く息は音無し。
人則ち小天地なり。

実の火は、象なし。これを火の体と言う。
象を見する時は、火中に水あり、ゆえに燃ゆる。
これを火の活用と言う。

実の水は象なし。これを水の体と言う。
象を見する時は、水中に火あり、ゆえに流れ動く。
これを水の活用と言う。

火は体にして、水を動かす。
水は用にして火に動かさる。

火は動かずして音をなし、
水は動いて音をなす。

すべて動かざるものは火にして、
動くものは水なり。

ゆえに水の名をなすと言うとも、
動かざる時は火なり。
火に名をなすと言うとも、動くときは水なり。

例えて言えば、水気(ミキ)は水の名なり。
火垂(ヒタリ)は火の名なり。

然りと言えども、右の手を打つ時は
右の水は火となり、左の火は水となりて音をなす。

また言う、気は水なり。鐘は火なり。

木をもって鐘を打つ時は、鐘は水となりて音をなし、
鐘をもって木を打つ時は、木は本の水となりて音をなす。

火水、体用の活用にして相対して動き
天地の水火廻ること、かくの如し。


凡例

本書は、布斗麻璽の御霊をもって
神代の事柄を解き分けるの法則を明らかにす。

五十連十行は、いわゆる神代の経学なり。

尋常の書とは異なり、
神の大御心と人の心とは隔たるのゆえなり。

後世に及びては、神代の御典を解する
人間の形態(ありさま)の如くに言うは僻言なり。

天津神、国津神の差別あり。
しかるに人間のありさまの如くに書きたる書を
見慣れたる心には染み難かるべし。

文字無き時の学なれば、さらに文字に頼るなし。

書籍無き時の学なれば、さらに参考とすべき書物なし。

ただ、布斗麻璽の御霊に卜相て、
五十連十行の片仮名をもって解き分けるなり。

文字無き時の教えなれば、
文字もて書き得がたき事あり。

これは多くは形をもって言う。
また文字も多くは義訓を用い、あるいは水火(イキ)、
火水(ホシ)、水火(シホ)、日月(イキ)、
陰陽(イキ)などの類、皆この義によるの訓なり。

五十連は、天地自然の音にして、神の霊なり。
ゆえに儒仏さらなり、一天四海に渡りて
道という道に響かすと言うことなし。

則ち、日月(カミ)の学なればなり。
天より見るが如く、天より聞くが如し。

ゆえに彼方に暗くして、
此方に明らかなりと差別は言わず。

巻中、総て和漢を交えて文の拙劣なるを厭わむ。

これは、只人の読み易からむことを
専らとするのゆえなり。
読者、これを諒せよ。


続く・・・