特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座519


「礼の徹底(2)〜身をもって世に示す技の極意」


『立ち合いから学ぶ水火の極み』

出口王仁三郎師曰く・・・

「天地の水火と人間の水火と同一なることを
知りて、国家を治めるの大本は
己が呼吸の息にあることを知る。

広く天地の真理を知らむと欲せば、
近くは己が水火を知るにあり。
これぞ神国の教えなり」

これは、天地の水火を、
つまり宇宙大自然の法則を知ろうと思えば、
人のもつエネルギー(動力、気力)の規則制を知れば、
宇宙の法則を理解出来ると言うのである。

なぜ武道が永年にわたり、伝わってきたか?

この「法則」を学び、創り主の心を知り、
それに帰一するためである。

人が神を求める、これは、例えば子が親を慕い、
親に学ぶのは当然である・・・というのと同じである。

武道の技の交歓によって、天地創造の働きから
未来に続く過程を一瞬の中に観ることが出来る。

私達は、この技を継承できる国に生まれて
幸いなることを思うべきであろう。

さて、その「一瞬」の中にある
「ビッグバン」にも似た現象を
体験する手段の一つが立合いである。

立ち合いとは、お互いの保有する技の
あらむ限りを一瞬の間に出し尽くす所作。

自分のポジションから、お互いの動き、
呼吸を意識し合い、ほぼ同時に動き始める。

その速さ、遅からず、速からず、
ぴったりと水火を合わせること重要也。

まず、微細な動きで相手の技を読み、
ひいては、呼吸で相手の技が
なんであるかを読み取る。

この稽古によって、
相手の次の動きと心を察知する修練を積み、

相手に押されない、強い気迫を培う。

そして、何より、一瞬にすべてを賭ける
不屈の「志」を練る。


命懸け・・・これを体得する。

これ、他の伝統芸術に無い、
日本武道が誇るべき部分である。

また、この立ち合いの所作を通じて、
ふやけた、甘い思いと、いい加減さを払拭し、
真の「集中する」ということを学ぶ。

武道がもつ、歩き方、手の動き、呼吸の仕方、
心の持ち方など、その数々の所作が、
いまに残る茶道、能楽など、他の芸術に
深い影響を与えたことを知るべきである。

いま、軽んじられている武道というものが、
実は日本最古の伝統文化であり、芸術の原点であり、
いまの日本が忘れかけている精神文化であり、
身体操作法であることを知るべきである。

武道は、何も真似をしていない。
何も参考にしていない。

全くそれをする必要が無いからである。

なぜなら、数々の動作や思想が、
向かい合う相手との真剣な「立ち合い」において
自然と学ぶものであるからである。

命懸けの立ち合いにおいて、
本当に必要なものは内から出てくるのである。

自己を最高の状態に置き、
瞬間に最高の技を爆発させることにのみ
神経を集中させる環境におくと、
人は自然に自己がなすべきことが見えてくる。

それ、つまり最高の鎮魂帰神の状態に導き、
神との交流を図る術、それが武道である。

こういった武道の命懸けの技の修練により
培った気合法、身体操作方法、精神集中法などが、
踊り、謡い、囃子、茶、花、政など
あらゆる日本の芸術の基となり、真似られ、
昇華され、あるいは茶化されて今に至る。

真似をしているのは一体どちらなのか?
武道にある者として改めて問いたいと思う。

そして願わくば、
日陰にあったこの文化が陽のめを見、
多くの心ある人たちによって
この道が受け継がれていくことを望む。

多くの人たちが自国に愛想をつかし、
海の外に眼を向けるのは
仕方の無いことかも知れない。

しかし、もう少し待って欲しい。
じっくり影に潜む技を見て欲しい。

あなたが夜空に輝く星の美しさに
見とれるのはいいとしても、
あなたの泥靴は、ひっそりと咲く野の花を
踏みつけてはいないか?

この日本も捨てたものじゃない
ということを知って欲しい。

この日本には、日本が世界に唯一誇れる
霊的文化遺産である「武道」があることを
知って欲しい。

そして、その正しい活用こそが
世界を救うのであると言うことを。

続く・・・