「鎮魂の状態をつくる 2」 〜具体的な統一体
前号で申しました。
『前でもない、後ろでもない、
上でもない、下でもない、
左でもない、右でもない』
ということですが、これは言い換えますと・・・
『前に出過ぎず、後ろに控え過ぎず、
上に媚びず、下を見下さず、 右思想にも、左思想にも寄らない』
という、どこにも属さない、不動の精神であり、
しかし、同時にどこにでも通ずるという変幻自在の
ニュートラルの状態の事でもあります。
これによって、自分の存在を見出し、自我の確立をいたします。
この中心の心は、非常に重要な霊魂を保有しています。
いわゆる直霊(なおひ)の御魂というもので、
四魂(幸魂、和魂、荒魂、奇魂)を統御し、「省みる」心を司っているのです。
「宇宙即吾」(うちゅうそくわれ)というのは
ウの中、つまり中心の核に自分を置いたとき、
自我の確立がある・・・ということのようです。
さて、このウの状態を、単に正座瞑目しての鎮魂の時だけではなく、
稽古中に技をこなしている時にこそ行わなれければなりません。
動きの中に活かせてこそ、鎮魂の意義があるのです。
これは人里を避け、山中深く分け入って、孤独な修行をなすことと同じです。
人間は大概、山に入っている間は、その雰囲気に浸って、
それなりに覚ったような気持ちになりますが、
しかし一端下山して街中の喧騒に戻るや否や、
元の俗世的な欲張り人間に戻ってしまうことが多いものです。
人は、人によってこそ揉まれ、鍛えられていくのです。
人を避けての孤独な状態で、人は決して向上の道はありません。
修行とは人生の真っ只中にこそあります。
それと同じで、鎮魂というものは技(稽古で行う技に限らず、
社会生活の営み)に活かせることこそ大事なのです。
例えば、「ア」の剱を使うとします。
これは最初に弛に入りますが、
この弛という状態を最高の状態にもっていくのです。
この弛の状態になった際に「不動の体勢」に入っていることが大事です。
この弛の状態で、第三者が押したり、引いたりしても微動だに
しないくらいの磐石の体勢を築きます。
次に「凝」を行います。
この凝も、其のまた次のウも、引も、解も、
すべての八力が最高の状態であるようにもっていきます。
よって、すべて一コマ一コマの技が磐石なる八力によって
成り立たせるのです。
八力の一つ一つが、鎮魂の状態です。
かくして「動中静」を実感し、
心と体が統一され、自他和楽の境地を知るに至るのです。
続く・・・