「気配 2」
さて、 この気配というのは何でしょう?
気配といっても様々なものがあります。
生きて活気凛凛と輝いているもの、 死んで黒々しいもの、
殺意に満ちたもの、 人を欺こうとする屈折したもの、
既成武道においては「殺気」といった「殺意に満ちた気配」を
言うのでしょうが、これは戦争が勃発した時には国中に
満ち満ちております。
それは、まことに刺々しい、いやらしい気配を発しています。
一般の既成武道では、これを感じることを良しとしますが、
私たち和良久では、むしろこういったものを感じない体質を養います。
そういう低いマイナスのエネルギーを発する者たちと
同次元に居ないことです。
私たちは、ひたすら大いなる他力(神)を得るための自力を
高めることに専念すべきです。
殺気を感じたり、発したりするような低いレベルの仲間には
入らないことです。
例え相手が発していても、それを受けない、
感じない子供のような無邪気さが必要です。
神様はその人にとって必要なものを常にお与え下さっています。
命の根元である気もお与え下さっています。
でなければ私たちは寸毫たりともこの世で活動出来ません。
この気に対しては深い感謝の念を持たねばなりません。
しかし、殺気やらの暗黒の気に対しては感受してはならないし
相手にすべきではありません。
私は気を感じるとか、あなたは気を感じますか?
とかいった平面な次元(ヨコ)を脱して、
ひたすら神様の光を求めるタテの道を開くことです。
気は、我が国では「水火」のことです。
神様の霊的な働きを「火水」と言い、体的な働きを「水火」と言います。
すべて人は、いえ万物はその気を受けてこそ生きています。
気を受けていない人はいません。
ただ物理的に感じないだけですが、それでいいのです。
神様は、必要なとき、必要な気だけを察知するようにしてくださっています。
時に、人は武道をやる者に対し、
冗談で後ろから忍び寄り、そしてこう言います。
「私の殺気を感じませんでしか?」と。
殺気は、殺意を込めた気配です。
それは強烈なエネルギーを発しています。
発する方もかなりの重いストレスを要します。
そんな強烈な殺意をこめたエネルギーを、
親しい者に向けれるはずがありません。
笑って「分かりません」と答えてください。
「人を呪わば穴二つ」の喩のように、人に殺気を送る稽古を行う武道は、
自分も死に向かっていることを知るべきです。
今の既成武道はこの方法をいまだに採用しています。
時代錯誤も甚だしいというべきです。
続く・・・