「まことの力」 〜その2
さて本題です。
「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった」
・・・聖書(ヨハネによる福音書)にありますが、
言葉は、神(霊)と共にあることにより「言霊」になり、活用出来ます。
また同福音書には、
「この言に命があった。そしてこの命は人の光であった」と、書いています。
つまり言霊は命であり、人の光なのです。
命は活動力そのものです。
活動力の源泉が「八力」なのです。
そしてこの「八力」には、人の光である霊魂が付随しています。
霊魂は、「ウ」という省みる魂である直霊(なおひ)を軸として、
「ア」愛(幸魂)、「オ」親(和魂)、「エ」勇(荒魂)、「イ」智(奇魂)
という四つの魂「四魂」が働いています。
大本の宣伝歌に「まことの力は世を救う」と歌われます。
しかし、この「まことの力」とは何でしょう?
単に「誠実な力」とか「真面目な努力」なのでしょうか?
「まこと」とは・・・?
「まこと」とは密教で言う真言(しんごん)であり、
まったき事、本当の事、完全な事という意味です。
これは天啓の言葉、神の言葉、つまり言霊ということです。
また神典には、天帝(国祖大神)は「一霊四魂をもって霊魂となし、
八力をもって力となす」とあります。
次に「力」とは・・・?
日本には三種の神器というものがあります。
それは、璽鏡剱(じきょうけん)といいまして、
霊力体(れいりょくたい)を現しています。
神典に、「天帝は霊力体をもって本体となす」とあります。
璽鏡剱は、天帝の尊い御姿を形象化したものです。
そして・・・剱(つるぎ)は、天帝の力の具現体です。
鏡は天帝の姿、つまり体をあらわし、霊は天帝の神霊です。
以上を慮りますと・・・、
「まことの力」とは「言霊の剱」のことであり、
「国祖の水火の顕現」のことであります。
言霊は水火(いき)であり、これは呼吸であり、気であります。
剱(つるぎ)は「水水火」と書きます。
これは呼吸の具現化と言うことです。
この「まことの力」をもってこそ「世を救える」のです。
なぜなら・・・
「日本は言霊の幸はう国」 「言霊の活ける国」
「言霊の天照る(あまてる)国」 「言霊の助くる国」
・・・と、伝えられております。
これが「元の昔」のことであります。
大本開祖の「元の昔にかえすぞよ」という神諭は、
「言霊の幸はう国にかえす」ということであります。
また、こんなことも述べられています。
「人民三分になる」と強く人類に警告されてます。
しかし、その世の終焉も「一厘の仕組で救われる」と書いてあります。
この「一厘の仕組」とは?・・・
その言葉の後にかっこしてこう書いています。
「火水(ひみつ)なり、言霊なり」と記されています。
「まことの力」を練磨し、神の手足となって立ち働くことこそ
人生の喜びなのです。
続く・・・・