「気迫を込めて」
これから徐々に75剱の全容が明かされてまいります。
今後姿、形は誰にでも出来るように稽古をしてまいります。
しかし、そこに息吹を吹き込むのは稽古をする皆様なのです。
極端に申し上げれば、その動きが活きているか、
死んでいるかを決定します。
「動きがある以上、活きているのでは」と思われましょうが、
武道では心の無い動きのことを、
敢えて「死んだ動き」と申し上げます。
仏作って魂入れず・・・と言います。
仏像の形はそこそこに出来ますが、
作者がそこにいかほどの入魂が出来るかです。
では、一体「活きた」、あるいは「生きた」動きとは・・・
を説明申し上げます。それは気迫という言葉で表します。
気迫とは一言で言えば気、水火、呼吸、息などで、
体に圧を加えることと考えて下さい。
これは四魂と非常に関係し、また強く影響を与えます。
武道では「気迫」をどれだけ入れ込むことが出来るかにかかります。
簡単に言えば「勢い」「強さ」「速さ」がどれだけ増し加えられるか
なのです。
それは螺旋運動のみによって可能となります。
螺旋運動も絶え間ない稽古によって徐々に円満晴朗に旋回し始めます。
そしてやがてその力は空間に歪みを生じさせ、時間を凝縮させます。
強く打つために、遠く距離をおいてから勢いをつけ、
直線的に打つよりも、その直線をクルクルと巻いて、コイル状にしますと、
同じ距離にも関わらず到達は何倍も近くなります。
まして螺旋は加速してゆく性質を持っていますため、
力は徐々に増幅し、ものすごい勢いをもって目的地に達します。
このように螺旋運動に「勢い」を加えることにより、
「速さ」が増し、それが「強さ」になるのです。
私たちの言う「強さ」とは、このような旋回力によって発生する力、
つまり遠心力、求心力のことなのです。
※ 万物を創り出す力〜遠心力(外へ向う力)
万物を元へ戻す力〜求心力(内へ戻る力)
気迫を入れるのに、直線運動を用いますと、
鬼気迫る怨念的、戦闘的なものになってしまいます。
逆に螺旋運動を用いますと、円やかでやさしく、
和合に満ちたものとなります。
いままでの武道は直線的であり、それは □ の世界でした。
和良久は螺旋であり、○の世界へ万人をいざないます。
何事も和合をなすための動きと精神をもって
稽古にあたらねばなりません。
まず自分自身と和合し、そしてその心をもって人と和合します。
このように、和合の技をより大きく、強くなすために、
そしてそれをより早く来たらせるためには気迫が欠かせないのです。
勢い、速さ、強さが揃って気迫が整いますとそれは「美しさ」となります。
続く・・・