「和良久って何だ?」 (1)
和良久は何の役に立つのですか?
腹筋もやらない、腕立て伏せもやらない、
走らない、飛ばない、パンチも、蹴りも、
投げもやらない。
エイッー!
ヤーッ!
トーッ!
そんな元気のよい掛け声もなく、居るのか
居ないのか分からないほど、静か・・・
と思えば、聞こえてくる「スーウーアー・・・・」
などと言う、まるで、日本語教室か、
芝居の発声訓練みたいな声。
試合も無い。
汗もかかない。
歯を食いしばって頑張るという様子もない。
筋肉が強くならないじゃないですか。
これじゃ一体何になるというのですか。
学校での体育の授業や、クラブ活動の役に
たたないのではないですか。
子供が危ない目にあわされた時の
護身術ぐらい教えてみては?
・・・そんな疑問が浮かぶのも
無理の無いことです。
社会人たち、子供たち。
家から一歩出たら、まるで戦場です。
学校の試験、運動クラブの試合、営業成績、
顧客争奪戦・・・・。
テレビを見ては、新聞を見てはスポーツに熱中し、
どこが強いの、誰が弱いの、だめだの・・・の批評。
競う、争う、戦う毎日。
いつも、いつも何かと比較し、どっちが勝った、
どっちが負けた。
自己の他より優れていることに気にかけ、
そのことのみにとらわれてイライラ、ドキドキしている。
挙句に、その戦いに生き残るための力を
もっとつけなくてはだめだ??
・・・そのように自己を煽り、わが子を煽る。
家では親が、学校では先生が、会社では上司が、
戦え、負けるな・・・と怒号する毎日。
戦って、戦って、戦い抜いて、
そして倒れても起き上がれ、前に向かって突き進め。
それがかっこいいと思っている。
それがヒーローだと思っている。
そんな戦場の如き環境で、
人がまともに育つと思いますか?
実際に殺人の犯しあいまではないでしょうが、
その異常なまでの競争意識の植え付けは
根っから戦う種のない人間には、
苦痛以外のなにものでもありません。
そんな環境から殺人者が出ても、ちっとも
おかしくはありません。
続く・・・