危険、冒険〜相手と組む稽古の意義
和良久では、まず一人で技を繰り返して、
動きが円滑になるよう練ります。
そして、その動きが自己満足に終わることないように、
今度は他の人と向かい合って技を稽古します。
技が、人に対しても正しいかどうかを確かめるためです。
和良久の基本理念である
「人も良く、われも良し」を実践し、
一層次元の向上を目指すがゆえです。
しかし、次元の向上を目指し、
眠っている潜在的能力を開花させるには、
絶対に安全、かつ安心な状態からは
「壁」を越えることは出来ません。
産みの苦しみと申しますか、
新しい世界に没入するには、
多少の危険と、冒険が必要になります。
ここで、その状態を体験するため
「組む」という稽古があるのです。
この組むという稽古には、少々危険がともないます。
私たちが稽古で使っている道具は、
樫の木で出来た剱です。
これは非常に危険な代物です。
しかも、それはかなりの速さで旋回しています。
当たれば、必ず怪我をします。
本当に洒落にならないほどの痛みがともないます。
ここでお互いに、当てないように、
また当てられないように、
とする慎重な態度が発生いたします。
ゼロコンマの世界で展開する微妙な「調子、拍子、間」。
木剱の稽古は、
人間業を越える高速の世界の現出を可能にします。
そんな世界に身をおくことによって体験する、
電気ショックにも似た、
全身にきめ細かく生じる五感を越えた反応。
和良久は、八力という基本がしっかりしています。
これで腰を安定させるため、
剱の暴走というものがありません。
ですから、絶対安全ではあるのですが、
やはり剱を打つ際、また組む際に生じる、
瞬間、瞬間の緊張感は、
尋常ではない大きな迫力があります。
これが、稽古を行う者の限界点を突破させ、
次元上昇を促す大事な要素なのです。
私達、和良久が目的とするところの次元の上昇とは、
とりも直さず五感を越えた感覚の発達のことであり、
そして霊魂の向上のことなのです。
私達は、既力武道のような、相手を倒すための
能力向上を望む思いはまったくありませんし、
またそういう気さえ起きません。
和良久は、そういう稽古なのです。
続く・・・