右に巡り、左に巡り
75剱を稽古するに際し、
それを平面的に行うのではなく、
多面的に稽古をすることが望まれます。
あらゆる方向に対応できるもの。
その方角からの力を受けれるもの。
その方角に力を及ぼすもの。
その基本的動きとして、
基本の型「八剱」を四方に向けて行っています。
75剱も同様に稽古します。
まず基本的に、左方向からの力を受けるものとして、
「ア・ヤ・マ・パ・ワ・バの各行」の計30剱。
これは稽古の際に左回りを行います。
また、右方向からの力を受けるものとして、
「ダ・カ・ナ・タ・ガ・ラの各行」の計30剱。
これは稽古の際に右回りで行います。
そして左右を選ばない「ザ・ハ・サの各行」計15剱。
これは真正面で行います。
以上、総合計75剱。
同じ向きで行うのと、回転しながら行うのと、
やってみればわかりますが、
様々な利点が見出せます。
まず楽であること、
これは回転力による惰性が働くためと思います。
筋力を越えたである遠心力、
求心力が発生するためです。
また、方向が常に変化するため気分転換があります。
同じ方向でずっと行っていますと、
集中し過ぎて気持ちが固まってしまい過ぎ、
心身の円やかさが欠けます。
また、回転方向に体を向けるため、
受ける力の方向が明瞭になります。
風を受けて回る風車のように、
他力を受けることによって
自力が高まることを
自覚する必要があろうかと思われます。
人は一人では生きてはいけない。
多くの自分に対する影響力によって
動かされていることを知るべきです。
他力あっての自力。
しかし大いなる他力を受けれる自力を養うことが
大事ではないかと思います。
そして、またこの稽古による旋回により、
全体の中心的な場というものが自覚できます。
場の「核」が発生すると言っていいでしょう。
その核を他力を得て、自分の力で創るのです。
留まる水は濁るの例えの如く、
逆に流れと言うものは清めになり、
活動力を生み出す源泉です。
常に動き続けている存在。
それは宇宙であり、即「神」です。
もし、神の活動が一瞬でも止んだら、
この宇宙は崩壊します。
ひとところに留まる事無く、前後上下左右、
あらゆる方向に働きかける力を養うことこそ
神力の存在を覚ることにつながるものと思われます。
続く・・・