「素手の技」(6)
さて、具体的に進みましょう。
以前に「素手の技は感情移入が激しいから
戦闘的になりやすい」と申しました。
掴み、掴まれ、また叩き、叩かれていますと、
最初にもち得なかった「怒り」がふつふつと沸き起こり、
倒されまいぞ、逆に倒してやる、と言った
排他的思いがこみ上げてまいります。
その怒りのエネルギーを利用するのが
格闘と言ってもいいでしょう。
では、その怒りを覚えないよう
稽古を進めるには一体どうしたらよいのか・・・・
和良久ではすでに答えが出ています。
直線的に動き、角が立ち、動きが断続的になる・・・
こういった技は、相手に、また自己に与える感情、
感覚はつんつんとした針のようなものです。
これは、まことに不快感を覚えます。
いつも稽古で注意を促すところですね。
皆さんの中にも注意を受けた方がいらっしゃるはずです。
和良久では、全ての動きを、
軸を中心として螺旋運動するということを
口やかましく言っています。
木剱だからこそ安易に動き、また可能になるのですが、
何にも持たない素手ですと中々に大変です。
剱の動きから極力直線を排除し、ひたすら螺旋運動を行います。
これは柔らかく、滑らかに、と言うことであり、
そうすることによって技は線が切れる事無く、
円滑に回転し、高速な速さと、鋼鉄のような強さを発揮します。
つまり、直線ではなく円に、角をつけずに丸に、
断続した動きではなく最初から、
最期まで線のつながった動きであることが大事なのです。
これらをクリアできるのは螺旋運動しかありません。
この動きによって、不快感は消え、
むしろ温かさ、優しさの感情が伝わってきます。
動きと言うものは、急に動かすものではなく、
徐々に加速を速めていくものであり、また止める時もそうです。
体に無理があってはなりません。
そのためには螺旋を意識することです。
それも手の一部分からではなく、
体の中心部分なる腰から来る、
大きな力のウェーブを手足に伝達する技術を持つべきです。
このウェーブをうまく使いこなせるようになると、
手をもたれた側に不快感どころか、温かささへ感じさせるに至ります。
手の接触を通して、自分の力(螺旋の波)を
相手に伝達するということが、和良久の素手と思って下さい。
ものを混ぜるとき、私達はクルクルと螺旋を描いています。
コーヒーカップにミルクを入れ、スプーンで混ぜるようなものです。
風呂もそうですね。
熱いと言って湯をまぜると湯が柔らかくなります。
かき混ぜると、その物体が何かとの和合を果たし、
優しさが現われるのかも知れません。
相手に腕を掴んでもらっていても、
これを直線的にはらうのではなく、クルクルっと螺旋を描くのです。
そうすると、どうでしょう?
お互いに不快感は感ぜず、面白いように手がすり抜けてしまいます。
そのクルクルっと旋回する手で、相手を掴めば、
今度は相手がクルクルっと転んでいくのです。
続く・・・