特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座253


「素手の技」(8)


人はこのように、一見不可思議な力をものすると、
それを他に自慢したくなり、試したくなります。
最初は技のひとつとして謙虚に稽古を進めていけても
時がたつにつれ、天狗となって、
その者は別の道を歩くことになります。

相手が自分の思いのままに倒れる・・・

すると、世間はあなたのその能力に
羨望の眼差しをおくるでしょう。
その不思議な力を欲して、
あなたの膝元に屈服し弟子となるでしょう。

世界のあちこちで戦争が起きるこのような時代、
人々の心も戦いの場面に慣れており、
倒す力の強さに憧れていますので、
その技を学びに多くの弟子を獲得することでしょう。
そして、自分は偉いと思います。
自分は特別な存在だ・・・と。

あなたは、やがて剱(魂)を捨て、
安易な素手の世界〜修羅道に入り込み、
いえ、落ち込んでいくことを自覚もしなくなるほど
「偉い」存在になっていきます。
修羅道の偉さ・・・
それは暗く冷たい孤独な世界のお山の大将のことです。
和良久には、そんな人は育ってほしくありません。

長くなりましたが、いままで、誌上講座で
8回にも渡って素手のことを述べてきましたのも、
ある種の警告と戒めを込めて
メッセージをおくりたかったからです。
もちろん、この私自身に対してもです。

素手は確かに簡単で面白い、
また人の興味をそそりやすいものなので、
やってみたいと思う人もいるでしょうし、
人も集まりやすいでしょう。

素手はスナック菓子のようなものです。
誰にでも口当たり良く、手軽に手に入る。
でも毎日食べていくうちに確実に健康を害していきます。

私自身、素手の技の出身者なので、
その痛快さや逆に苦しさも知っていますから、
私のつたない体験を通して皆さんに、
ここのところを考えて欲しいと思い発信しました。

剱を持ち八力を練ることで、体的力に呼吸力が加味され、
次元の異なる空間に没入することが出来ます。
これを鎮魂帰神の神術であると奥山忠男師は言いました。

私は、使いようによって和良久は
オールマイティな武道となり得る力を有していることを
とても誇りとしています。
また、同時に、決して血なまぐさい武の歴史を
繰り返したくない気持ちでいっぱいです。

出来るならこれが「とどめの武道」となるよう
神様に日々お願いしています。

それは、決して和良久が世間的にメジャーとなって
組織が大きくなり、権力を手中にするためとかではなく、
何世紀にも渡って続く戦が、
もうここらで終止符を打つことが出来れば、
そのことを学ぶ稽古法であったら、・・・そんな願いからです。

これは天界に帰られた神様の化身、
大本四代教主様への誓いであるからです。
私の部屋には四代様の大きな写真があります。

白衣姿のその神々しさは、
神様の何たるかをよく分かってない私にでも
「神はいらっしゃる」と感じさせます。
その四代様が生前繰り返された「和合」。
また、四代様にいただいた武道の名が「和良久」。

「和」〜これを成就するために何をなすべきか。
これからも私は皆様と共に、
和良久を通して問い続けていきたいと思います。


続く・・・