特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座347


「75劒の技の変遷」


「75劒」本来の動きは止まることのない螺旋です。
これを説明させていただきます。


三元(さんげん)と言う言葉があります。
以前に何度もこの誌上講座でも取り上げていますので
ご承知かと思います。

三元は、剛・柔・流と言う、
三つの物質を構成する言葉ですが、
これは何も物質に限らず、魂、力にも当てはまります。

以下に、整理します。

■剛は、鉱物の本質で、玉留魂(たまつめむすび)
 であり、あらゆる固き物、固き力を指します。

■柔は、植物の本質で、足魂(たるむすび)であり、
 あらゆる柔らかき物、柔らかき力を指します。

■流は、動物の本質で、生魂(いくむすび)であり、
 あらゆる液体、また流れる力を指します。

稽古をする段階も、
この三元の法則にそって行います。

以下は、もちろん方便上用いるものなのであることを
まずご承知下さい。


(1)●初心の内は「剛」・・・これは、固く堅実
  に技を確かめながら動きましょう、と言うことです。

  この基本は「点」です。

  こうして、こうして、こうして・・・と、動きを細切れ
  に分解して、例えば箇条書きのようにして覚えて
  いきます。

  ですから、一番目の「点」から、次は二番目の「点」
  に、こんな格好で、こうして移動するんですよ・・・と、
  細切れに稽古していく段階です。
  
  これは基礎工事であり、骨格を形成する稽古と
  思ってください。


(2)●次は、「柔」です。
  これは、「剛」の固さを、時間をかけてほぐし、
  技にとって大事な柔軟さを身につけるのです。

  この基本は「線」です。

  先に学んだ「点」の動きをつないでいく角ばった
  動きを柔らかくほぐしていくのです。
  
  点と、点をつないで「線」にし、全体の形を現して
  いきます。
  
  骨組みにふっくらと肉をつけていく稽古です。


(3)●そして、技に慣れてきますと、いよいよ
   「流」です。これは技に命を吹き込むようなもの
   です。血液を体内に流していくような作業です。

  この基本は「曲線」です。
 
  先の柔らかい動きに、今度は流れるような躍動感
  を宿らせるのです。
  流れるような生き生きとした躍動感・・・
  つまり螺旋運動です。

これは、例えば勾玉のようなものです。

和良久では、螺旋を描いた
その勢いに乗せて八劒を放ちますが、
その劒を放つ形状が勾玉そのものであり、
そのリズムや「ふるべゆら ふるべゆら」となります。

陰陽なる玉の水火が右に巡り、
左に巡りして活発な螺旋運動をしているのです。

じっとしているから球体であり、高速に動き始めたら、
あのように尾を引く形状に見えるのです。

つまり勾玉は、玉が螺旋し、
ぐるぐると高速旋回している様子が
あの形になっているのです。

古来から勾玉は、悪魔を寄せ付けず、
潜在する神的能力を呼び覚まします。

私たち和良久の稽古人らは、
単にそういった装飾品に頼ることなく、
その勾玉の力をそのまま
身体に取り込む稽古をしていると言えます。

さて、本題に入ります。

この勾玉のような螺旋運動が、実は劒を組み、
そして同時に打ち返す理想の形なのです。

劒は、本来、八力のどの力で組むんだと言う
類のものではありません。

凝なら凝と言うポイントで組んだら、
動きは止まってしまいます。

止まったら、止まったところで技は終わりです。
「力」はそれで終了します。

例えば、「ヂ」と言う劒ですが、「ヂ」は外旋で、
八力は『凝 引 引 解 弛 解』となります。

大雑把に言えば、「引」で組んで、
「解」で打つと言うことになりますが、
実は、八力のこの部分で組んで、
そしてここで打つなどということはないのです。

相手が動き始めたら、こちらも同時に
旋回を起こしはじめます。

猛烈な螺旋運動が起こり、その螺旋の渦の中において、
相手の劒が取り込まれていく勢いが生まれます。

「ヂ」であれば、本来「引」で組むと言うのではなく、
『引と解の狭間』で組むのです。

つまり、八力の「引」という静的な
固定された状態ではなく、
流動的なものであり、通過する瞬間です。

これは、早く回転する駒のように、
どこから石つぶてを投げつけても弾き飛ばされる・・・
そのようなものです。

「螺旋のもつ遠心力、求心力で弾き飛ばす」
これが劒の組み方です。

受けて『そして』打つ・・・ではなく、
受けたと『同時』に打つことが出来るのが、
他の武道と異にする劒の技の特徴です。

稽古も、このように「点ー線ー曲線」と
変化すべきものです。

以上を剛・柔・流の三元の例えでお話しましたが、
どれが上で、どれが下という類のものではなく、
どれも欠くことの出来ない必要なものなのです。

身体で言えば、剛は骨、柔は肉、
流は血となります。


続く・・・