神からの道 神への道 〜神武に至る練磨
和良久は、以下の教えを基本理念に置く。
『 神は万物普遍の霊にして、
人は天地経綸の主体なり
神人合一して茲に無限の権力を発揮す 』
武道の技の元となる「霊、力、体」の真意を覚るために
以下の3つを学則とする。
一、天地の真象を観察して、真神の体を思考すべし
一、万有の運化の毫差なきを視て、真神の力を思考すべし
一、活物の心性を覚悟して、真神の霊魂を思考すべし
(以上は、出口聖師が高熊山にて霊界修行されし時に
神より受けた啓示である。これをもって我が武道の学則とする)
<神武の特長>
○稽古に使用される「剱(ツルギ)」の原型は
古事記に登場する「天の沼矛」である。
○武道は国生み、人づくりの理念が元である。
○武道は、鎮魂帰神の神術(みたましずめのみわざ)である。
○主な祭神は、オオクニトコタチノミコト、スサノオノミコト、
ヤマトタケルノミコトである。
○動き(八力)により、心(一霊四魂)を練り鍛える。
○言霊の力を具現化させる。
○稽古そのものが「祈り」である。
体を静止させ、言葉をもって祈る「静的祈り」ではなく
言葉を発せず、全身の動きをもって祈る「動的祈り」である。
○剱の稽古は、心身を統一させる理想的な鍛錬である。
○剱の稽古は霊的向上を促し、素手の稽古は体的向上を促す。
よって稽古は霊主体従の基本原則にのっとり剱の稽古を主体に、
素手の稽古を従におく。
○動きの基本は呼吸の運用にある。
(吸う息〜求心力 / 吐く息〜遠心力)
○技の方向はタテ・ヨコ・前後の3つあり、
それを結ぶものは螺旋である。
<神武稽古の自戒>
○年齢、性別、人種、体の強弱に関係なく
心安く稽古が行われなければならない。
○戦いより生まれた「武士道精神」は参考にしない。
○技は極力直線運動を廃し、
螺旋運動を描くものでなければならない。
○その技は、決して古いものとして現代に通用しない
錆付いたものではなく、その時代に応じた知恵と動きを
するものでなければならない。
○稽古の最初と最後は、必ず礼拝を行わなければならない。
○筋力を必要以上に使用し、力づくで技をかけてはならない。
○体に負担のかかる無理な体勢をとってはならない。
○心が安らかで、体を痛めぬ動きでなければならない。
○稽古する者が、和良久の稽古によって「戦って倒す」という
気持ちの起こるようなことになれば和良久は解散する。
○和良久の稽古によって、もし天狗になる者があれば
和良久は解散する。
○和良久は神と人を結ぶ神事である。酒宴の席、または
それに準じた場で演武を行ってはならない。
○すべての演武は神への奉納行事として行う。
○試合は行わない。
(試合は「試し合い」という意味で、それは技量が不完全
であるから起こる現象である。技が完全であれば、
試す必要がなく、そういう気もおきない)
○スポーツ化、競技化されてはならない。
(日本の国独自の身体意識「腰と腹」を中心においた文化を
これ以上衰退させてはならない)
○稽古にある者はオカルト的な、低い霊的事象に惑わされることなく
常識的見地をもって、道徳を重んじた言動がなされること。
○稽古のすべてを神に捧げるつもりで行う。
続く・・・