特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座377


「鳳雛舘」(3)


武道は、神様の水火の力を、
われら人の五体を通してを表に現させる手段です。

和良久は、一言で言えば「水火の鍛錬」です。

水火の鍛錬と、気の鍛錬の違いを述べねば
和良久が理解出来ないでしょう。

気はやんわりとしたヨコの流れと考えて下さい。

水火は、この気のヨコの流れに
タテの流れが入ったと思って下さい。

タテの軸あってのヨコの存在です。
タテは強さ、厳しさであり、ヨコは柔らかさ、優しさです。
これらは、すでに稽古で、また誌上講座で述べています。

気の稽古をされる団体は多いのですが、
水火を鍛錬しているのは私達、和良久だけでしょう。

水(タテ)火(ヨコ)の力の作用を組み、
神の力「八力」を発生させます。

稽古は、初心の内は優しさ、柔らかさ〜ヨコで始めます。
中ほどのレベルに行くと強さ、速さ〜タテに入ります。

そして上級になると、タテとヨコを同時に存在させる
稽古を行います。

これは、人生はヨコだけでも、タテだけでもいけないと
言うことにも通じます。

例えば稽古も中のレベルに入ると「馴れ合い」ではいけない、
また「きゃっ、きゃっ」と「楽しい」だけではいけない
と言うことです。

この日本の国は厳然たるタテの秩序があります。
その一つが師と弟子の関係。先輩と後輩の関係。

師と弟子、先輩と後輩・・・友達ではないのです。

教える側、教わる側にも関わらず「〜さん」と言うヨコの関係。
外国で見受ける、相手が先生であろうが何であろうが
「ミスター何とか」と呼び合うこと。

「稽古」と言う概念の無い外国ならこれも自然でいいでしょう。

しかし、ここは稽古を行う国「日本」です。
稽古とは「古を思い考える」ということです。

先人達が何を思い、そして動いたのかを考えて
技を練ることなのです。

稽古環境とは、場を選び清め、師と弟子の上下関係を
しっかり把握し、謙虚に学ぶ姿勢をもつ習慣をもった
道場ではないかと思います。
決して、ジムと呼ばれる所ではありません。

ですから「トレーニング」とは全く違うのです。

日本では、テクニックではなく「道」を尊びます。

これは神と人の関係と同じでしょう。
神と人はヨコの関係ではなく、タテの関係なのです。

自分を導いてくれる存在、
それを私達は先生と仰ぎます。

幸い私には多くの先生がいて、ここまで
導いて下さいましたし、これからも導いてくださることでしょう。
本当にありがたいことです。

私は、誠の生きる技、尊い魂の糧を与えてくれる人、
それが先生と思っています。

心、技が凡人の域を脱し、神技と等しくならんと
欲するのが、武道の世界に生きる者たちの願う
次元向上欲ではないかと思います。

先生を認めない馴れ合い稽古はヨコであり、
楽しいでしょうが、しかし結局は人の技のレベルに
留まるものでしかなくなります。

私には素晴らしい先生たちが、
いまでも私を強く戒めてくださいます。
こういう先生をもつ、これが私の誇りです。

人に対し、みんな平等だとて、先生と呼ぶことを
躊躇する方が多くなりました。見ていて悲しくなります。

もっと謙虚に学ぶ姿勢をもったら、きっと今と違った
別次元の世界に私達を誘ってくれるものを、
もったいないことです。

自信の無い方ほど、ヨコのつながりを強調し、
タテの存在を認めないようです。

これは中心軸の形成に何らかの問題があるのでしょう。

もったいないと思います。
その人は、そこで成長が止まってしまいますから。

ここは道の国、神の国、日本です。

机の上に座って「ハーイ!ミスター○○さん」と
かっこよく?呼び合う国ではないと思います。

謙譲の美徳と、礼節を重んずる心・・・
これが無くなったら日本ではなくなります。

映画「ラストサムライ」では、
外国人に日本の心を取り戻せと諭されているような内容で、
思えば、このような時期に日本人にとって情けない話です。


続く・・・