「螺旋」(1)
人は生き変わり、死に変わり、
肉体という衣を着替えながら、巡り巡って
この世でまた活動を繰り返しています。
より向上を目指して、より素晴らしい出会いを求めて。
輪廻・・・これも螺旋の法則でしょう。
こういったことは、人の、それも特に親しい人の
死に直面するたびごとに思います。
地球は自転し、太陽の周りを公転しています。
太陽もまた他の星の周りを旋回しています。
全ての存在はそれらの旋回を合わせた螺旋運動を
繰り返しながら、この大宇宙を旅しています。
この大宇宙は、創り主の緻密な計画の中において、
時間空間に寸分の狂いも無く終わりの無い、
大きな大きな螺旋の中にあります。
人と人との関係も、まったく同じでしょう。
自らの活動は、他の存在あってこそであり、
他の存在も、また別の存在と深く関わって生きている。
人間関係は、まるで自転と公転のようです。
自転とは、呼吸の旋回。
それは生きて活動している証。
この自転が止まった時が死。
巡り巡る過去と未来の渦の中、
限りなくゼロに近い微々たる隙間、その眼にも止まらぬ
一瞬とも言える狭間に「現在」があります。
微々たる点のような、その現在の積み重ねが
線となってつながり、高速の旋回運動を起こしています。
一年の全ての季節、一日の24時間全ての時間。
それらは別々であり、同時です。
また多くのものであり、ひとつのものです。
そう思うと、永遠と瞬間が同時であることを実感できます。
大宇宙は螺旋構造をしており、
また我々人間も螺旋構造をしています。
螺旋・・・この形状の中に自分が生かさせて
いただいていることを知らないで来た若い日々。
鋭角で、固くて苦痛に満ちた日々でした。
誰かを傷つけ、自分も傷ついてきました。
そして螺旋を意識できるようになっている今日の自分。
なんて温かくて、円くて居心地がいいのでしょう。
螺旋の渦に身を浸してますと無常の幸福を感じます。
知ることと、知らないこと、一体どれほどの差異があるか、
それは例えようもありません。
私にとって螺旋は神そのものであります。
続く・・・