「和良久の稽古」
和良久の稽古は、タテの柱である、
普遍の真理「言霊」の理念を軸に、
ヨコの柱である、力の根源「八力」の両輪で構成されている。
この堅固な基本を元に応用技が組まれ、
その技の数もまた言霊の理念に基づき、
75声の音声の働きを体現するものとして「75剱」が存在する。
これは日本武道が、世界に誇る霊的文化遺産であることを
明確に証明できるものとして、
自負するに値するものであることを確信する。
その稽古は、宇宙の秩序、運行に合わせた
螺旋運動を繰り返し、これにより
万物の力の根源、及び精神を探る。
稽古に臨むにおいては、まず自らが
積極的に動くことをもって他に活動力を示し、
その力により多くの良きものを引き寄せる現象を起こす。
これを「自転」と言う。
自転とは、「自〜自ら」「転〜転ぶ〜回転する」ことであり、
活き活きとした呼吸力の様を表すことである。
これは「私は生きている」と言う宣言であり、雄叫びである。
我々はこれを具体的な力として体感し、
有益なものとして実践するため、木剱を持ちてこれを旋回させ、
もって呼吸力の充実を図る。
呼吸力の充実は、即生命力の高揚である。
われ自ら積極的に自転を行うにより、
発電にも似た状態となって一種の磁力を発生させ、
周囲にその力を伝播させる。
その磁力により、自転を起こす者の周囲に人が集う。
集いし人も、また自ら自転を起こしつつ公転の軌道に入る。
かくて稽古場には潮流にも似た磁場が発生し、
螺旋の力により光が解き放たれる。
その光の渦を螺旋波動と言い、悪魔を調伏させる威力と、
場を和ませる柔和力をもつ。
その渦の流れに逆らう事無く、身をゆだねることを
水火を合わせることと言い、それが和良久の稽古である。
自ら起こす自転によって流れをつくり、他を引き寄せ、
共に大きな渦を形成していくところに妙味があるのである。
和良久の稽古は、他と比較し、
悪戦苦闘して習うべきものにあらず、
他の動きに同調し、ひたすら水火(呼吸、息)を合わせていく
和合の道を学ぶものである。
和良久の技は沢あれど、吾は覚えが悪いと
落胆することは無い。
螺旋により、自力と他力が融合し、
新たなる力を発生させることを体験することを旨とする。
人は吾なり。
吾は人なり。
自他和楽の世界が現出されなければ稽古の意味は無い。
和良久で「出来た」とは「相手と息が合った」ということであり、
技を覚えたということとは違う。
頭で無く、腹で考え、動くことが求められる。
螺旋は宇宙の自然な運行そのものであり、
大なる存在のお働きを思い、その息づかいを感じ、
それに身をゆだねること、つまり渦巻く潮流に
身を投げ入れる覚悟さえあれば他に何も心配は及ばない。
ただひとつ、是が非でも意識してもらいたいことがある。
自らの力で自転を起こして欲しいということである。
自転をしているということは呼吸しているということであり、
これにより全身が緩んで柔らかくなり、熱と光を生じさす。
逆に、自転を止めることは呼吸が停止している、
つまり「死」を意味し、体が硬直状態となる。
手の内で転がす自転は僅かな力であるが、
これが大河の如く大きな力となって働く基となる。
自転を起こしていれば何とかなる。
技も、8割方は出来たも同然である。
しかし、これさえも出来ないということならば
如何ともし難い。
続く・・・