「武道は日本伝統芸術の基(1)」
日本には世界に誇る様々の芸術がある。
代表的なのは能楽、茶道、また書道、華道、短歌
その他・・・。
しかし、それらのすべての元になっているのは
一体何か?
そのルーツが、実は武道であることを
指摘するものがいないのはどうしたことか?
武は「アメノヌホコ」の国づくりから始まる
創造の歴史である。それはあらゆる芸術の起源。
わが国で「璽・鏡・剱(じきょうけん)」と言われる
三種の神器。
璽は、円満晴朗なる神の姿を顕し、
鏡は、純粋無垢な神の心を映し、
剱は、自力と他力の一致したる妙なる活動力を顕す。
その力の根源なる剱の技こそ、
人間の身体の動きを緻密に無駄なく、速く、強く、
合理的に向上させてきたものなのである。
内なる霊力を「ヌホコ」と言い、その霊力が外に向けて
具現化したものを「ツルギ」と言う。
しかし、人心の荒廃とともに霊力が衰え、
つまりヌホコの力衰え、ツルギを現せなくなったのである。
そして止む無く鉄や銅を打って「刀剣」として形象化した。
それは不本意にも、戦に欠かせぬ殺人の道具として
発展してきたのである。これが今の既成武道の根源である。
侍たちの中で、一時は戦乱の中で「ツルギ」は
「カタナ」に姿を変え、用途も活人から殺人に変わってきた。
これは神の光が隠され、
仏教が変わりに出てきたのと酷似している。
剱は神の力の現れ、刀は仏の力の現れである。
白刃の林の中に身を置き、命を賭けたぎりぎりの状態にまで
自分を追い込んだ末に至った光明と安堵感。
武に携わる者たちが技の練磨によって
ほとばしる力を身につけ、その果てに、
この世の次元のものとは思えぬ特殊な高いリズム、
タイミング、空間などが現出される。
その時空を超越し感受した結果生まれた
武道の細分化とも言えるのが茶道、
能楽などの日本芸術なのである。
例えば、武道における戦いの狭間にある
一瞬の静寂の間を表現した茶道。
武道の技のリズム、身体操作法から生まれた能楽。
武道における絶妙なバランス感覚から生まれた華道。
その他、多くの優れた伝統芸術を生み出した
日本武道の理念と実践。
このように、日本芸術に昇華させたのは言うまでも無く
命がけで生きてきた優れた侍たちの感性であった。
続く・・・